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爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「DNAで語る 日本人起源論」篠田謙一著

読書記録 歴史 科学全般

以前に埴原和郎氏の日本人の二重構造起源論に触れ、衝撃を受けたのですが、それはそれ以前の単一民族幻想の日本人論が無意識に基盤にあったためにそれを完全に打ち壊したように思えたのでした。

 

しかし、その後のDNA分析の長足の進歩により古代人の人骨化石などからの分析が進められることにより、二重構造の概念のもとであった「縄文人」「弥生人」などの組み分けというものが実際には成立していなかったということがはっきりしてきたようです。

 

本書は、分子人類学というDNAを用いた人類学解析の専門家で現在は国立科学博物館人類科学部長という篠田氏がこれまでの研究により得られた知見をもとに日本人(そしてその周囲の人々)がどのような経緯をたどって現在に至ったかということを書かれているものです。

2015年9月出版ですので、最新の研究成果が盛り込まれているものと思います。

 

二重構造論では、縄文人は南方から、弥生人朝鮮半島からといった単純化された構造で語られたのですが、実はすべての現代人の祖先は約20万年前にアフリカにいた共通の祖先から由来しています。

なお、これは全人類がただ一人の女性から産まれたということではなく、ある程度の数の種族から由来しているということです。

また、それ以前に旧人類の様々な種族が世界各地に存在したことを否定するものでもなく、「直接の先祖」という意味のものです。

 

なお、これまでの遺伝子分析では最初は取り扱いの容易さからミトコンドリアのDNAが使われてきました。しかし、ミトコンドリアは母子の遺伝しか表さないために最近ではY染色体のDNAや全DNA分析といった方向に進んできています。

これらの結果から「ハプログループ」と呼ばれるグループ分けが実施されるようになってきており、これについての情報は数多く得られるようになってきました。

 

本書表題の「日本人起源論」にはそぐわないようですが、本書はしばらくのあいだアフリカでの人類誕生から出アフリカ、そしてアジアでの発展に長い文章を割きます。

 

我ら人類の共通祖先というものは、化石からもDNAの証拠からも、約20万年前のアフリカに存在しました。

そして、それから長い間アフリカの中だけで過ごしていました。これはアフリカの現在の人々の中に非常に遺伝的な多様性が多いということで証明されます。

そして、6万年前になってようやくその一部がアフリカを旅立ちました。これを聖書になぞらえて「出アフリカ」と呼ぶそうです。

このように長い間アフリカに留まっていたのは、東アフリカで誕生した新人類にとってサハラ砂漠を越えるというルートはほとんど通行不可能であったためのようです。

しかし、気候変動のためかやむにやまれぬ事情で数百人からせいぜい数千人の人々がどうやらシナイ半島ではなくソマリア付近を通って海を渡るルートでアジアに出たようです。

 

彼らは無人の荒野を行くわけではありませんでした。各地に旧人類のネアンデルタール人や、ジャワ原人北京原人の子孫が暮らしていました。

新人類ホモ・サピエンスは彼らを殺戮し排除したわけではなかったようです。(完全に無かったかは分かりません)各地の人類のDNAには化石から得られたネアンデルタール人などに由来するということが証明されたDNA断片が存在することが分かってきました。

ネアンデルタール人由来のDNAは2-5%、シベリアの洞窟から見つかった「デニソワ人」という約5万年前の化石人類のDNAは現代のメラネシア人のDNAに4%程度残っているそうです。

 

出アフリカのあと、しばらくのあいだはホモ・サピエンスはインドなど南アジア地方にとどまります。

これを初期拡散と呼ぶそうですが、南インドや東南アジアの先住民の中にはアフリカの系統に直接結びつく古いDNA系統が残っているそうです。

 

DNAの変異による多様性を見ていくと、各時代の人口増加の程度も推測できるようです。

これを辿って行くと、4万5000年前から2万年前までの間はほとんど南アジアのみで人類の人口増加が起きていたことが分かります。

そして、その後の時代になって中東、東アジア、ヨーロッパでの人口増加が起きてきます。

2万年前の気候はそれまでよりも寒いという最寒期に当たりました。海面は下降し、現在よりも120mも低かったようです。そのために歩いて現在の海を渡り世界中に広がっていきました。東アジアやそれを越えてアメリカにも歩いて渡って行ったようです。

 

またその頃は農耕を始めた時期とも重なります。うまく栽培できる土地を確保できれば人口増加も容易ですがその代わりに気候変動には弱くなったようです。

一旦、北アジアに移動した部族は北方化するとともに、西側のヨーロッパに移動した部族との関係も生まれました。

また東南アジアから直接日本列島に移動した人々もあったようです。

 

このように、埴原の二重構造説で提唱されたような均一な「縄文人」なるものは無かったようです。非常にバラエティーの豊富な集団でした。

ここには実はあの「石器捏造事件」も影を落としていたようです。あの捏造により提唱された旧石器時代からの連続性というものが、日本での新人のアフリカ起源説の普及を妨げてしまったようです。

しかし、捏造の発覚でそれらの学説は霧消し、人類学もようやく世界と同じ歩調を取ることができるようになったということです。

 

考古学的に確かな証拠があるものは、日本列島では約4万年前からだそうです。

3万年前ころには急激に人類の拡散が起こり、各地に旧石器遺跡が発見されています。

しかし、日本では人骨の保存ができにくく、確実なものは18000年前の静岡県浜北のものが一番古いようです。

ただし、沖縄では石灰岩地質のために骨が残りやすく、20000年前の港川人やさらに古い37000年前の那覇市山下町の人骨も残っています。

 

DNAの分析では、化石人骨ばかりでなく現代人の分析も実施されており、その報告も数多くなっていますが、日本人のミトコンドリアDNAのハプログループは非常に多様性が大きいことが知られています。

人口比1%を越えるものだけでも20種以上あるようで、その中で日本だけにしか見られないものは数少なく、ほとんどが海外のどこかの人々と共通のものだそうです。

例えば、最大のグループDと呼ばれるものは中国東北部や朝鮮で多いものです。

M7aというグループは大陸南部や東南アジア島嶼部、N9bはロシア沿海州の先住民に見られるとか。

 

なお、これはミトコンドリアの結果であるために母系の遺伝になりますが、一方Y染色体でみた父系の遺伝から見ると中国東北部や朝鮮とは相違するということです。

男女で移住の様式が異なったという事実を反映している可能性があります。

 

DNAの分析技術の進歩で、残された人骨や歯からDNAを抽出して分析するということも可能になってきました。そのために発掘された人骨の年代が分かればその系統も分析的に証明できるというすごい時代になってきました。

まだまだ多くの研究が行われて知見が積み重ねられて行くことでしょう。

 

まあ日本人というものが単一民族などという幻想は顔を見ていけばすぐ消えそうですが。

とはいえ、6万年前という地質時代でいえばわずかな期間でしかない年月にこれほど大きな変異ができてしまったというのは驚きです。