爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

趣味の話 少年の頃は鉄道ファンだった 鉄道写真

小学6年の頃から鉄道模型をやり始めたのですが、時はちょうど国鉄の燃料転換が急激に進んでいるころで、それまでの蒸気機関車がどんどんと電化やディーゼル化で消えていく頃でした。

 

そのため、消える前に写真を撮っておこうと思い、近いところから撮り始めたのでした。

最初は茅ヶ崎駅周辺の電車や電気機関車を何度か撮影したのですが、すぐに蒸気機関車を撮りに行きたくなりました。

手始めにその当時廃止寸前だった八高線D51を撮りに行きました。

前述の友人と2人で休みの日に出かけたのですが、国鉄相模線、横浜線と乗り継ぎ八王子から八高線に乗り、たしか金子あたりの駅で降りてその近くで撮影好適地を探しました。

おそらく1966年か67年くらいかと思います。しかしすでにSL写真撮影者がかなり詰めかけていたように思います。

また、何の下調べもなく、列車ダイヤの確認もせずに行くという無謀さで、いつ列車が来るかも分からなかったという状態でした。

 

その後は一人であちこちに撮影旅行に出かけました。

最初に遠出をしたのは1968年か69年の夏だったのですが、中央線の木曽側のD51でした。

母の故郷が長野県南部の飯田市近郊でしたので、そこに泊めてもらい翌朝早くに出て飯田線から中央線に入り、最初は薮原の駅で降りて鳥居峠側に登って撮影しました。

それから上松に移動し木曽川をバックに撮影、夕方には名古屋に出てその晩は古くからの知人の家に泊めてもらいました。

このルートはその後2回ほど使い、木曽平沢、落合川、田立などで撮影したものでした。

 

中学卒業の頃には、篠ノ井線のSL全廃の記念列車を撮りに松本へ、また春休みには名古屋起点で関西本線加太駅、山陰本線保津峡と行って撮りました。

 

一番の大旅行は、高校2年の夏休み1971年ですが、あしかけ4日の行程で東北に出かけた時でした。

上野発の夜行で翌朝奥羽本線東能代で下車、そこから二ツ井に出て電化工事が進む中最後のC61を撮影しました。

その日は秋田駅前の旅館に泊り、翌朝は羽越線で象潟から小砂川へ向かい、海沿いの風景を撮りました。そして酒田から夜行の急行で帰ってきたというものでした。

夏休みに入ってすぐだったのですが、東北ではまだ学校が休みになっていなかったらしく、高校生が列車通学をしていました。その女生徒たちが話す言葉がまったく分からないというのが新鮮な驚きでした。

また、秋田の旅館で泊まった時には同宿に高校野球秋田県予選の出場校の選手が泊まっていました。

 

今思えば、中学高校の頃によくあれほど旅行したものと思います。両親も何も言わずに旅費を出してくれました。

父も自分の趣味で持っていた高級カメラを貸してくれました。幸い、壊しもせずに返せましたが、危ないものでした。

まだ当時の写真が残っていますが、技術的にはまったく稚拙なものです。しかしまだその時の光景が思い起こせます。