爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「”世代”の正体 なぜ日本人は世代論が好きなのか」長山靖生著

著者の長山さんは本業は歯科医ということで、そのかたわら社会評論などの書物を出版されているというのが驚きです。

内容はまったく専門家の考察を思わせるものでした。

 

「世代」ということは良く話される話題ですが、それが本当に「世代」によるものか、もしかしたら単に「年代」による影響かもしれませんし、社会的な階層によるものかもしれません。

 

しかし、そのような影響をできるだけ排除して考えて行ってもやはり実際に「世代差」というものはありそうです。

 

実はこのような「世代差」というものが大きくなってきたのはごく最近のことであり、江戸時代はもちろん、明治に入ってもしばらくはそのような世代差というものは表面化してきませんでした。

当時は世代による差というよりは社会階層による差が大きく、平民と士族の差、農民と商人の差などは多少の世代差などは覆い隠すほどだったと見られます。

 

それが大正時代に入りその頃の若者たちにそれまでは見られなかった特徴が顕在化しました。

「大正青年」と呼ばれる人々ですが、その生年は明治後半です。大正期に見られたリベラリズムの普及の影響でした。その前の世代、江戸末期から明治にかけて生まれて明治時代を作ってきた人々とは大きく異なるものでした。

 

その後の年代、大正生まれから昭和初期まではその後の戦争との関わりにより大きな差が出来てきます。

昭和10年代からの日中戦争から太平洋戦争という非常に大きく国民全体に影響を与えた戦争というものに、何歳ごろに関ったかということでその影響の出方が異なってくるからです。

そのため、大正生まれ世代、昭和一桁世代、焼け跡世代、といった分け方、あるいは戦前派・戦中派・戦後派といった分け方もありますが、いずれにせよ兵隊として従軍した世代、小学生のころに戦争を経験した世代、物心ついたのは戦争後の焼け跡であった世代でその感じ方が大きく変わりました。

もちろん、大正生まれ世代はその多くが従軍し死亡している人も多数におよび、感じ方などというよりはるかに大きな影響が出ている人たちも居ます。

 

太平洋戦争が敗戦という形で集結した後は、復員した人々が一斉に子供をもったベビーブームというものがごく僅かな期間存在しました。

それが有名な「団塊の世代」であり、この一群の人々は様々な社会の事件を同時に経験するという事があったために世代内の共有体験も大きく、均質性が見られるものです。

その後はあっという間に雰囲気が変わり、「シラケ世代」という人々が出現しました。

何を隠そう、私自身も「しらけ世代」ど真ん中であり、書かれていることが一々思い当たります。

 

団塊の世代の中には、大学進学をしたものの社会矛盾にぶちあたったという「全共闘世代」も含まれます。ただし、その当時の大学進学率はまだ低いものであり一部の上中層に限られたものであったようです。

しかし、シラケ世代となった私達の頃には学生運動に参加するものはごく一部となりほとんどの学生は見向きもせず「しらけ」ていました。

 

その後はバブル期(1988年から1992年)までにちょうど就職期を迎えていた1965年から1969年ころの誕生の世代を「バブル世代」と呼ぶことは異論は少ないでしょう。

極めて短い期間だったとは言え、その衝撃は激しいものでした。

あっという間にバブルがはじけるとあとは「氷河期世代」です。

「ロストジェネレーション」約して「ロスジェネ」とも呼ばれます。

フリーターというものが発生し、働いたとしても非正規雇用しか無いという人々が生まれてきました。

 

その後に出現したのは「ゆとり世代」です。これは経済状況というよりは教育制度によるもので、言うまでもなく「ゆとり教育」というものに翻弄された世代になりますが、本人たちの責任は全く無いのに能力が問題視されるということになりました。

 

序とあとがきにあるように、世代論というものは「青春論」につながります。

同じ世代の人々がもっとも多感で社会からの影響を大きく受ける青春時代がどういった時代であったかによりその世代というものの性質が決まってきてしまいます。

それだけ現代社会というものは大きく動いておりその前後の時代とはまったく異なる時代というものが多かったということなのかもしれません。

 

世代の特徴が著しく大きいというのは、それだけ社会の変動が大きいということなのでしょう。

これからもそういった時代が続いていくのでしょうが、それがどのようになっていくか、あまり良い予想はできないように思います。