本書出版は2009年10月で、2016年オリンピック開催地決定の直前であり東京開催が有力と見られている時でした。
その時は結局リオデジャネイロに敗れたのですが、2020年開催は勝ち取ることができました。
それにちなんでということでもないのでしょうが、東京オリンピック、もちろん1964年の前回開催に関して社会経済史での影響を考えるということで、立教大学経済学部教授の老川さんが多くの執筆者とともに書かれています。
東京オリンピックはその6年後の大阪万博とともに、戦後の日本の高度成長期の最後の総まとめの祭典のようなものとして開催されました。
東京オリンピック誘致の目標としては戦後の復興した日本を見てもらおうと言う理念がありました。しかし、大阪万博の1970年がほぼ高度成長の最後と見なされる時期になります。
1945年の太平洋戦争敗戦のあとの数年は大混乱の復興期でした。
政府というものの機能も失われた状態で立ち上がった特に東京という町は無秩序のまま大きくなっていき、それを立て直すという意味でも東京オリンピックは有効に使われたといえます。
オリンピックと万博という2つの祭典に共通するものは、多くの歌でした。
テーマソングというものが次々と発表されましたが、その中でも特に広がったのが「東京五輪音頭」と「世界の国からこんにちは」でした。
奇しくも双方とも三波春夫の歌が最も売れたという共通点があります(両方共多くの歌手の競作だった)
これで三波は国民的歌手と言われるようにもなりました。
無秩序に発展してしまった戦後の東京は、住宅や上下水道、交通など数々の問題点を抱えていました。それを一挙に解決するということもオリンピックの目的とされました。
代々木に選手村を置き、競技場、駒沢公園、それを結ぶ首都高速、環状線、放射線の整備、そしてNHKの渋谷移転までも含めて一気の整備が行われました。
オリンピック準備とは直接は関係しませんが、高度成長期には東京周辺では木造民間アパートから公団住宅などへの移動が大規模に行われました。
本書に引かれている例では神奈川県藤沢市の大団地の建設があります。1964年に辻堂団地、1965年に善行団地が建設されたのですが、これらに3年間で1.9万人が入居しました。ほとんどが若い夫婦と子供の世帯であり、その数年後には小中学校への子供の集中が起きました。また、入居者はほとんどが東京横浜などへの通勤者であり、電車バスの混雑も激しくなりました。
しかし、当時の団地は2DKという今日から見れば狭いものですが、その当時では他の木造アパートなどと比べると広くて美しいものであり、羨望の的だったようです。そのために入居希望者も殺到し、抽選も狭き門と言われたものでした。
東海道新幹線が東京オリンピックの直前に開業したということも有名な話ですが、これを間に合わせるということは極めて大きな課題があったようで、その他の当時の国鉄の路線整備は大きく遅れることとなりました。
それが三河島事故、鶴見事故の発生にもつながったことにもなり、その後の国鉄の経営困難にもつながったとも言えます。
とはいえ、自動車や飛行機の発達時期とも重なる中で鉄道の可能性を見出した新幹線はその後の世界の鉄道輸送への復権にもつながり大きな意味を持ったとはいえます。
東京オリンピックというものをめぐって、様々な話題を詰め込んでしまったもので、ちょっと詰め込み過ぎたようにも見えます。
とはいえ、東京オリンピックがちょうど私が10歳の時、それ以前のかすかな記憶の東京と、それ以降青年期に慣れ親しんだ東京との大きな差が、ちょうどこの時期に一気に起きたということが良く分かります。
藤沢の団地の話、そして江ノ島のヨットハーバーや湘南海岸公園など、良く知っている地域の話も次々と出てきて興味深いものでした。