爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

国会議員に自分たちを選ぶ選挙制度を決めさせるという愚策

自民党衆議院の選挙制度へのアダムズ方式の採用容認、ただし2020年の大規模国勢調査の結果を見てからということです。

少なくとも4年以上は先の話で、差し当たっては0増6減の小幅調整だけということです。

 

またいつもどおりの「小出しの対応」「先送り」ばかりです。

 

裁判での違憲状態判決も覚悟の上とか、完全に司法は舐められ切っています。いつまでも「違憲状態」の指摘だけの腰砕け判決ばかりでは本気で対応する必要も無いと思っているのでしょう。

完全に、国政の基本に関わる法律の規定の無視です。これを放っておいておかしな科学的判決などでお遊びは不要です。

 

何度もこの欄でも指摘しているように、国会議員に自分たちの選び方について決めさせるということ自体がおかしな話です。泥棒や強盗に刑法を決めさせるのと同様です。もっともらしい顔をしているだけに、それよりもひどいのかもしれません。

 

4年先に選挙区の見直しを行っても、とても抜本改革と言えるようなものにはならないようです。アダムズ方式を取っても現行のような決め方では最大1.5倍以上の格差ができるとか。

10年に一度の大規模国勢調査で選挙区を改定するというのなら、その時点で限りなく「選挙区全てで議員1人あたり有権者数」の比を1に近づけるべきでしょう。完全に平等というのは無理であってもせいぜい1.1以下にしなければ意味がありません。

 

完全に人口比の議員数にすると過疎地域の議員が少なくなり地方の声が届かないというのはお決まりの意見です。しかし、それはまったく別問題のことであり、少なくとも議員は公平に人口比で選ぶというのが現在の衆議院の根本原理である以上、それを守るべきでしょう。

 過疎地域の議員数を守るという主張はかつてはその地域での圧倒的な自民党支持の強さから、「党利党略」と呼ばれたものでした。しかし、現在ではその傾向も必ずしも見られなくなっており、そうなると党利党略どころか議員それぞれが自分の選挙区と議員としての地位を守りたいだけの「私利私略」に過ぎないということです。

よくも恥ずかしくもなくそのような主張ができるものです。

 

なお、衆議院は完全に人口比であるべきと言っても、参議院もそれである必要はありません。

アメリカのように各州からの議員が同数選ばれるような上院であっても良いかもしれないし、完全に全国1区の大選挙区としても良いのかもしれません。

しかし、現在は人口比で平等に選ぶと決められている以上はそれに従わなければなりません。

 

ただし、このような完全人口比の選挙区というのが正義かというとそれは全く違うと感じています。このような制度では各地域の公平性が担保されているだけであり、例えば世代間、職業間、職能間、等々、それらのグループ間の公平性はまったく無視されています。

これも社会正義という意味では非常に偏った制度と思います。

ただ、それはそれ、人口比と言いながらまったくそれに従っていない不正は許せるものではありません。

不正は正した上で、どのような選挙制度が最も公正であるか、それを議論すべきでしょう。