3月11日には東日本大震災発生からちょうど5年ということで報道は多くの特集が組まれテレビなどは一日中ほとんどその番組ばかりでした。
犠牲となり亡くなった人々を取り上げ、その人達を忘れずにその災害を考え、対策をして二度と犠牲者の発生が無いようにしていこうというのがその報道の基本姿勢と言えるでしょう。
しかしいくら「忘れない」といっても難しいものでしょう。
あの地方での巨大津波では明治三陸津波が1896年で115年前、今回のものと同じ程度と言われる貞観地震は896年と1100年以上前のものです。
一人の人間がその一生の間に経験できるものはごくわずかしかありません。
しかし、人間というものは「記録」「伝承」で受け継ぐことはできるのでそれを使ってできるだけ後世に伝え遺すということは必要ですし、やらなければならないものでしょう。
とは言え、それができるのもせいぜい人類が文明化した12000年前からのことに過ぎません。記録という点から言えばせいぜいここ2000年のことでしょう。
災害の種類により発生頻度は異なります。
集中豪雨による災害(洪水・土砂崩れ)は日本であれば毎年あちこちで起きています。
地震も死者を多数出すほどのものは10年に一度くらいでしょうか。
津波はもう少し長くなるかもしれません。
火山噴火はこのところ毎年起きていますが、死者を出すものは数年に一度かもしれません。
しかし、おそらく人類文明の存続に関わるほどのものと考えられる巨大カルデラ噴火は1万年以上の頻度であると見られ、特にイエローストーン級のものは数十万年に一度だそうです。
阿蘇級のものでも数万年は来ないでしょう。
さらに地上のほとんどの生物が死に絶えたとされている巨大隕石の衝突に至っては数億年に一度でしょうから、あまり人が気にすることもないでしょう。
水害や地震などの頻発する災害のイメージは報道の発達も大いに影響しています。
今では世界中の災害発生が直後にニュースとして流れ、多くは鮮明な映像も伴っていますので、非常に強烈な印象を持ちますが、ほとんどの場所ではそのような災害は起きていません。
大きな地震があっても数百キロ離れればほとんど影響もありません。もしも江戸時代程度の報道体制であれば、東日本大震災なども当地九州では数年たってから風の便りに聞くだけだったかもしれず、インドネシアの大津波などはまったく耳にすることもなかったでしょう。
だから災害報道など無駄なのだなどと言う気持ちはありません。せいぜいしっかりと取材して報じ、同様の災害が起きてもできるだけ被害を少なくするというのは有益なことでしょうが、それも程度問題です。
「巨大隕石が衝突すれば終わり」というのが心の奥には存在します。
考えても仕方のないことなのですが。