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爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「環境リスク学 不安の海の羅針盤」中西準子著

中西準子さんは横浜国立大学教授を退官された後、産業技術総合研究所へ移りリスク学というものの実践に力を尽くされました。リスク学の日本における先駆けとも言える活躍をされた方です。

と言うと順風満帆の研究生活を送ってこられたようですが、本書にも描かれている半生の記録を見るととんでもない逆境にもめげずに自らの信念に基づき研究を続けてこられたということが分かります。

 

リスク学という観点から、東日本大震災後の福島原発事故の際には放射線の障害について世の中が大混乱に陥った時にはそれにどのようなリスクがあるかということを積極的に発信して来られました。しかしそれがともすると「それほどリスクはない」ということであった(それが事実です)ために、世間から「御用学者」などという心ない批判も受けることになります。

この点についても本書を見れば中西さんは「御用学者」などというものとは正反対の研究者生活を送ってこられたということが分かると思います。

中西さんの研究者・科学者としての姿勢の基本は「ファクト(事実)」に基づく理論ということになります。その姿勢のために東大時代には研究室の教授をはじめ学会関係者全てから非常に厳しい処遇をされましたが、信念を崩すことなく真実を主張することを止めることはありませんでした。

しかし、その姿勢は行政や企業などに対してだけではなく、それを糾弾する庶民の側にも向けられることがあったために、彼らからも忌避されることもありました。中西さんは一般に被害者とされる人たちにも非科学的な主張をすることを許しませんでした。

 

科学者としてこのような姿勢を貫いた研究生活は尊敬に値するものと思います。

 

本書は中西さんが2004年に横浜国立大学を退官される際の最終講義の内容に加筆されて出来上がったものです。それまでの研究者生活の経緯から、リスク学というものを立ち上げた詳細について語られています。

その後の産総研でのリスク学での活躍はこの本の後のことになりますが、それを十分に予感されるものとなっています。

 

 本書第1章は2004年2月に開かれた中西さんの横浜国立大学における最終講義です。

横浜国大においてリスク学というものの推進に邁進してこられましたが、それまでの研究者人生を総括したないようになっています。

中西さんは横浜国大で応用化学を専攻し卒業後東大工学部の大学院に進みました。そして院終了後は東大工学部都市工学科の助手として就職します。これは、応用化学の博士でも男性であれば民間企業にも就職口はあったものの、当時は女性博士などにはまったく就職の道は無かったからです。

しかし、そこで最初に取り組んだのは東京都の新鋭下水処理場であった浮間下水処理場の処理能力の検証であり、最新鋭と言われていたその能力がまったく浄化力がなく、単に薄めて放流しているだけだったことを暴いてしまいました。

その件は研究室の教授から発表を禁じられたにも関わらず、中西さんは公表してしまいその処理場は数年後に閉鎖されるということになりますが、教授からは破門に等しい処遇を受けることになりました。とはいえ、大学助手は首にするというわけにも行かなかったようで、席はあるものの研究費も回らず座っているだけという状態でした。

それにめげず、当時国策として進められていた「流域下水道」という大規模な下水システムについての検証を独自に進めます。これは河川流域を一つの下水道で結んでしまい、河口に置かれた処理場まで下水ラインを張り巡らせて送り込み処理するというもので、システム規模は莫大になるために工事費などもかさむ(その反面建設業者などは潤う)というものでした。

そして、ある程度の人口密度がなければ全く割の合わないシステムであることを論証し、過疎地帯では個人下水道(浄化槽)の方がよほどマシということを主張しました。

 

これらの研究を見ても、中西さんが「御用学者」などというものとは正反対であることが明らかです。

 

流域下水道のシステム検証の過程で、市町村単位の処理システムにして河川での循環を活かすようにするとなると、上流の処理水を下流では飲料水で使わなければならないということになります。

下水の処理水はいくら高機能の処理をしたとしても若干の汚染物質は含まれます。これが飲料水になるかどうかということはある程度のリスクを考えるという必要性が生まれます。その辺から中西さんはリスク学という方向に進んでいく事になります。

 

その後、東大に環境安全センターという組織ができその助教授となり、さらに横浜国大の環境科学研究センターに移籍しました。

日本ではほとんど知られていなかったリスク学というものを推し進めるということで、苦労もあったでしょうが理解者にも恵まれていたそうです。

 

ただし、中西さんの信条としてそれまでは「ファクト」(事実・真実)にこだわるということであったのが、リスク学ではファクトを超える必要があったのです。

そのために、リスクの比較の手法として「損失余命」というものを編み出しました。

これで異なるリスクを大きさで比較するということを可能にしました。

例えば喫煙というものは損失余命すなわち命を縮める大きさが数年であるのに対し、ヒ素では1日程度、DDTでは0.01日といったものです。

 

リスク調査で大きな成果は、ダイオキシンの問題です。

ゴミ焼却からダイオキシンが発生し広く環境中に拡散しているという話は大きな影響を社会に与えましたが、どうもおかしいと考えた著者はその不純物構成を詳細に検討し、実際は今のダイオキシン汚染は昔の農薬から発生していることを証明しました。

この結果、ゴミ焼却原因説はほとんど破綻したのですがいまだに大焼却施設は稼働しているようですし、小規模焼却設備の禁止も続いているようです。

この件も含めて一般誌に書いた「環境ホルモン空騒ぎ」という文章は大きな波紋を投げかけました。

 

このようなリスク学の推進者としては、福島原発事故による放射能汚染についての社会の混乱については黙っていられなかったのでしょう。

ただし、「御用学者」呼ばわりの批判も当然覚悟の上だったのではないかと思います。

その程度の非難くらいでは口を閉じるような方ではなかったと思います。それだけの勇気と信念を持って発言されることは素晴らしいものと思います。