爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「地域人口からみた日本の人口転換」高橋眞一、中川聡史編

人口転換というのは、出生率と死亡率の関係が前近代型の多産多死から多産少死状態を経て近代型の少産少死に移行することを指します。

多くの先進国では19世紀頃までは多産多死状態でしたが、現代では少産少死になっています。その間の多産少死状況の間に人口が爆発的に増加しそれが社会の歪みとなる状態が各地で起こりました。

 

ヨーロッパ各国ではこれらについての研究が多く実施されているようですが、日本ではあまり盛んではなかったようです。そこで神戸大学名誉教授の高橋氏を中心としたメンバーがテーマを分担し、明治以降の日本各地の人口の動態を精査し人口転換がどのように起こってきたかということを詳細に検討したのがこの本です。

なお、本書はまったく文系の研究報告書そのものであり、一般人が気軽に読むようなものではありません。このような本がポッと本棚に置いてあるのが田舎の市立図書館の不思議なところでもあります。

 

さて、詳細な人口構造の研究を行うと言ってもその資料が正確かどうかが一番の問題であり、これまでも調査研究が進まなかったのもここに原因があります。

第1回国勢調査が行われたのは1920年(大正9年)であり、それ以降は統計の正確さも徐々に増していきました。しかし、それ以前については戸籍というものがさほど厳密なものではなく、漏れ・抜けが頻発しておりそれだけを見ても正確な人口というものが掴めなかったということがあります。

戸籍上の人口はすなわち本籍人口というものですが、それと実際に住んでいる人口(居留人口)というものはかなり差があります。現在では本籍に住んでいない人たちの把握というものが問題なのですが、明治期には本籍を届けていない人々というのもかなりの数に上りました。学校に行く程度の年になって届けたり、ひどいのでは20歳になって初めて届けるという場合もあったようです。そしてその年までの間に死亡してしまう場合もあり、そうなるとまったく統計に上がらないままの人生という人もあったようです。

本研究ではこのような届け出漏れの数字をかなり大幅に推測して修正し、実態に近づけるような操作がされています。

 

明治前期にはまだ人口の自然増は本格的には始まっていなかったものの、流動による人口の社会増は東京大阪などの大都市で始まっているとともに、この時期には北海道で非常に人口流入が多かったようです。開拓開始で相当な農民移住が見られたようです。

 

明治後期から大正期にかけて、死亡率の低下が徐々に起きてきたようです。ただし、それまでの死亡率が都市部で高いという特徴が変化し、都市部では低下してその反面特に東北や北陸の農村地帯での死亡率が高いままという状況になってきました。都市部の生活環境の向上が起きたようです。

 

昭和期からの出生力転換が起きた状況の調査を、特に島根県の例を精査することにより論証しています。

この時期では配偶者のある女性の出生率、つまり有配偶出生率が下がり出します。地域差はありますが、島根県でもこの傾向が見られるようです。

ただし、島根県の場合は県東部の出雲地域と西部の石見地域でかなり違いが見られるようですが、研究者らは石見では浄土真宗門徒が圧倒的に多いという宗教的な理由を考えているようです。

つまり、堕胎・間引きによる人口調整という前近代的なものが明治期まではまだ残っているのが、浄土真宗影響下ではそれらを抑制したために出生率も高くなったということです。

 

なお、有配偶出生率を検討する前に、有配偶率すなわち結婚できるかどうかも大きな問題点になりそうです。これは現代社会でも大きな問題ですが、前近代社会でも経済的な問題から結婚できない場合も多かったようで、そこでは出生に至らないということになったようです。

 

今回の1950年までの段階で、沖縄県を除く全国で1915年から1930年までは既婚出生率が上昇し、それ以降は低下を開始しました。これは先行する研究でこのような人口転換は戦後に始まったとする見解が示されていたのとは異なり、この傾向は実は昭和初年から始まっていたということが示されていたことになります。

初期の出生率の上昇は、結婚率の上昇と初婚年齢の低下によってもたらされており、結婚出生率の上昇は限定的なものだったようです。

そしてその後の出生率の低下は結婚率低下、初婚年齢の上昇もありますが、それ以上に結婚出生率の下降というものが影響してます。

 

しかし、出生率低下が戦前に始まっていたと言ってもその急激な低下はやはり戦後のものです。それがなぜ起きたかというと、第2次世界大戦敗戦後に大きな社会不安、特に食糧不足による栄養不良、等々の理由で終戦直後には出生率が落ち込みました。

その後やや安定してからベビーブームが起きたのですが、その不安の影響で出生力と言うもの自体が低下してしまったのではないかと言うことです。

また、戦後に制定された優生保護法による人工妊娠中絶の増加も影響がありそうです。

 

特に大きな問題である有配偶出生率の低下についてはまだ解明しなければならない問題点が多いということです。

 

今になって少子化問題が大変と慌てている人たちが多いようですが、実はその徴候ははるか以前に表れており、急激に起きてきたのも戦後すぐのことでした。それが確かめられたということは貴重なものでした。