ノーベル賞の中でも平和賞だけはスウェーデンではなくノルウェーで選出されること。そして最近ではオバマ大統領がほとんど実績もなく選ばれたり、中国の劉暁波氏が獄中のまま受賞したりと論議を呼ぶこともあります。
少し前では、キッシンジャーや佐藤栄作などその当時まだ若かった自分でもこれは変だと思わざるを得ない受賞もありましたが、ノーベル平和賞受賞者というものを全て知っているわけでもなくはっきりしたことがつかめないままでした。
その意味でもジャーナリストの池上さんが平和賞受賞者すべてについて受賞理由とエピソードを書かれたこの本の内容は一応目を通しておくだけの価値はありそうです。
なお、本書はアフリカリベリアのサーリーフ氏などが受賞した2011年から遡る形で記述されており、一例あたりの紹介文も長いものから1ページで終わるものまで様々ですが、まあ妥当なところでしょう。
ノーベル平和賞は1901年にアンリ・デュナンらが受賞した第1回から100回以上(途中欠あり)を数えますが、今ではほとんど知られていないものも数多くあります。
受賞者を決定するのはノルウェーの平和賞委員会で、現在ではそのメンバーは元国会議員などから選ばれていますが、昔は政府関係者も含まれていたそうです。
しかし、ナチスドイツやソ連との問題もあり、現役の政治家は除外するというように変化していき現在のような形になりました。したがって、劉氏の受賞の際に中国政府がノルウェー政府に抗議し、脅迫まがいのこともしたのは全くお門違いとなります。
とはいえ、やはりノルウェーの政治的な立場を強く反映する選考となるのはやむを得ないものでしょう。
2009年のアメリカのオバマ大統領の受賞はあくまでも実績に対してのものではなく、核廃絶に向けた動きを見せただけでその将来に対する期待を示したものでした。その後のオバマは核廃絶を止めたとは言えないもののその他の戦争は積極的に行う場合もあり平和賞にふさわしいとは言えないようです。
日本人ではただ一人の受賞者の佐藤栄作ですが、沖縄の返還をめぐり非核三原則を貫いたとされて受賞しました。しかし当時の日本人の誰もが信じていなかったように、様々の疑惑がつきまとうのもでした。
その前年のベトナム停戦を受けてのキッシンジャーとレ・ドクトの受賞も大きな波紋を呼ぶものでした。
イスラエルをめぐる中東紛争についてはアラファトとラビン、サダトとベギン、と繰り返し選出されています。それだけ和平への期待が強い現れでしょうが根本的な和平はまだまだ遠いようです。ノーベル平和賞という手段を使っての解決を模索しているのでしょうがうまく行っていません。
組織・機関に対しての受賞も何度も行われています。
IAEA、国境なき医師団、国連平和維持軍、難民高等弁務官事務所、ILO、赤十字社、ユニセフ等々、遅々として進まない国際平和ですが組織としても徐々には進められてきた過程が一応そこには現れているということでしょう。
19世紀以前の世界と比べると確かに進んではきました。それでもそれ以上に人々を苦しめるものがあるのでしょう。
数々の議論を呼ぶノーベル平和賞ですが、それでも大きな意味があるのは確かなのでしょう。