爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「吉野ケ里、藤の木と古代東アジア」日中韓国際シンポジウム 出席者上田正昭、安志敏、金元龍、森浩一、西谷正、和田萃

かなり古い本ですが、1989年11月に京都新聞社主催で開かれた国際シンポジウムの記録です。

その直前の1985年に奈良斑鳩藤ノ木古墳で非常に高度な副葬品が見つかり、当時の王族の墓ではないかと言われ、また1987年には佐賀の吉野ケ里遺跡の発掘調査結果が発表され社会的に大きな話題となりました。

それらの発見が古代史の通説にどのような影響を与えているかを日本の研究者ばかりでなく、中国の安氏、韓国の金氏も招いてシンポジウムを開き、討論を行ったものです。

 

それからすでに30年近い時が流れていますので、現在ではそれらの解釈も相当変化はしているでしょうが、発掘直後の研究も進捗しながらのシンポジウムであったために、通説の変更という大きな学会の動きをそのまま描き出しているような熱気が感じられます。

 

出席者の立場もかなり差があるようで、邪馬台国の場所も大和説もあり九州説もありと、様々なだけに議論のやり取りも一応礼儀正しくはしているものの鋭い棘が感じられました。

 

内容を細かく紹介することは略しますが、最後に聴衆の中の中国人研究者、汪向栄氏が述べた意見が面白いのでそれだけを引いておきます。

 

吉野ケ里は一つの国と理解すべきという日本人研究者の意見ですが、中国人から見るとほとんど人骨の発掘も少なくわずか300体程度、これは小さな集落と考えるべきではないか。

有名になっている楼観と言われているものも、軍事用の物見台にすぎないように思える。

 

まあどの意見がその後どう評価されたかということは正確には分かりませんが、この本の段階では様々な見方があったということでしょう。

歴史というものの面白いところは、何かが発掘されて世にでるとガラッと歴史の見方も変わってしまうところにあります。今後もいろいろな変化があるんでしょう。