爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「日本語の年輪」大野普著

大野普さんは博識の日本語学者として知られていた方ですが、この本は昭和41年に初版発行というものです。

日本語の起源がインド南方のタミル語にあるという学説を唱え、その批判が各所から起こり、もはやその説は支持する人もいないのですが、日本語の成り立ちについての学識についてはやはり相当なものを持っていたということは間違いないでしょう。

作家の丸谷才一氏は最高の日本語学者であったと評していたそうです。

 

本書は現代でも使われている言葉の数々が古代からどのような使い方をされていたのかということを解説した前半と、日本語の歴史の概観を説明した後半からなっていますが、出版以来50年近くが経っているとはいえ、現代でも十分に見るべきところがあると思います。

 

現代も普通に使われている言葉が古代から使われていただろうと言うことは想像はできますが、その意味もずっと同じであったかどうかということはともすれば盲点になりがちなところかもしれません。

微妙なニュアンスは異なることはあっても基本的には同じような意味だろうと思っていたものが、相当違うということがあるようです。

しかも、奈良時代など古い時代と鎌倉、室町とそれぞれ意味が変わってきているとなると、ちょっと手に負えない観があります。

 

例えば「うつくしい」という言葉は今では広く美を表す言葉として使われています。

しかし、奈良時代では夫婦の間や妻子に対する感情を表す言葉でした。

妻子(めこ)見ればめぐしうつくし と山上憶良は歌っています。妻子に対する愛情を表しています。

それが、平安時代になると「うつくし」が小さいものへの愛情の表現に変わりました。

雀の子や人の赤子の行動などを「小さきものはみなうつくし」と使っています。

そしてその頃には「梅の花がうつくしく咲く」という風にも使われ、現代の使い方に繋がるものになるそうです。

そして室町時代になると一般的な美の表現に変わりました。

 

「だて」という言葉は伊達政宗の家臣の服装から来たと言われていますが、実は室町時代にはすでに「だて」と使われていた例があるそうです。

「立つ」という動詞から起こってきたようです。

鎌倉時代には「たてたてし」という言葉がありました。すぐに腹をたてるような人を表現する言葉だったようで、「たつ」というはっきりと目に見えるように形を表すという原義から派生してきた言葉です。

つまり、物の動きを活性化し人目につくようにするということが「たつ」ということであり、そこから「たて」転じて「だて」になったという判断です。

 

「かわいい」とは現代では「可愛い」と字を当てているように娘や人形などの好ましい様子を表していますが、700年前には「見るに耐えない」という意味でした。

徒然草には「酒を飲み過ぎた坊さんがよろめいているのはまったくかわいい」とあり、見るに耐えないという意味で使っています。

しかしそれが徐々に相手を痛々しく思い可哀想だという感じに変わっていき、それが恋慕の気持ちに移り変わっていったようです。

 

このように、古今の文を広く解析し言葉の使い方というものを整然と整理しています。

古典を読む際には忘れてはならない視点でしょう。