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爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「江戸日本の転換点 水田の激増は何をもたらしたか」武井弘一著

本書の序章でも記されているように、江戸時代=エコ時代という評価が広く行き渡っているようです。

リユース、リサイクルが高レベルで行われ、循環型社会であったという認識がされているようですが、実はそうではない面が多いという事実もあり、さらに江戸時代でもその時期により大きく性格が変わってきたということです。

 

このテーマについては、私も石川英輔さんの著書を何冊か読んだ時に、上記通りの認識が強いことに異議を唱えた読書記録を書いておりました。

読書記録「江戸と現代 0と10万キロカロリーの世界」石川英輔著 - 爽風上々のブログ

しかし、その異議の根拠と言うものはあくまでも状況証拠からの推論に過ぎなかったために、自信を持って言い切れないという物足りなさを自分でも感じていました。

 

その点、本書の著者は江戸時代の歴史研究の専門家で当時の史料も無名のものまで含めて数多く検証し、議論を組み立てています。大いに参考になる意見を聞かせていただいた気分です。

 

江戸時代はその税制の基本が米であったということからも分かるように、水田が生産の中心であり、経済の中心でもありました。

そのためもあり、米の増産と言うことが直接に社会の成長につながるということは当時も強く認識されており、江戸時代初期から新田開発が大きく推進されました。

正確な水田面積というものを求めることは困難と言うことですが、およその値として江戸時代初期には180万町歩だったものが、1720年には280万町歩にまで増加しました。

しかし、その後はほとんど増えることなしに明治初期にも300万町歩だったそうです。

人口もほぼそれと比例した動きをしています。

 

著者の考えでは、江戸時代中期以降はほとんど増やすことのできなかった新田開発というものは、江戸初期の新田激増の歪みに影響されているということです。

そこには、水田での稲作と言う一見循環型に見える生産体系が実は周囲の環境に負荷を与えるものだったということが理由となっています。

これを検討するための史料の一つとして著者が取り上げているのが、加賀藩の農民で篤農家と言うべき農業の指導者であった、土屋又三郎という人の残した農書でした。

 

土屋又三郎は1642年に金沢近郊の農村に産まれ、十村(とむら)という10か村程度の農村を指導する役職を藩から任されていたそうです。

農業についての経験も豊富で、さまざまな方策を取って農民の生活を守る努力をしたそうです。

その栽培方法はあまり現在では知られていないようなもののようです。米は年貢として納める白米の品種を主に栽培するのですが、同じ場所に農民が食べるインディカ米も混植し、さらに畦には大豆や小豆などを栽培するというものだったそうです。

また、山の近い加賀では鳥獣の被害を防ぐことも大切でした。その当時の農村には藩から鉄砲が預けられており、鳥獣駆除に用いられていたそうです。これも意外な事実で盲点でした。

なお、水田では魚も多く生息しており、稲刈り近くなって水を抜く際にこの魚を獲て食用にするのも大事なことでした。

 

江戸時代の水田には下肥(屎尿)も入れられましたが、それではまったく必要量に足らず、多くは雑草の堆肥化したものを入れていました。それに用いる草を取っていたのが草山(今では里山と言われる)でした。

この草山と言うものも、自然そのものではなく「造成された」ものであり、自然の雑木林の山を切り開いて草地にしたものだったそうです。

この草は家畜の飼料としても使われており、農村にとっては非常に重要なものでした。

このように、水田ー草山をセットとして人為的に作られた農業環境で人と牛や馬といった家畜とが生産活動をしていたことになります。

 

17世紀の新田開発ブームとも言うべき時代には、水田を作るだけでなく周辺を切り開いて草山として草地の確保もされていました。しかし、それは十分とは言えず必要な草の量の確保も難しくなりました。

しかし、その後新田開発の停滞期に入ってしまっても、社会の変化により幕府や藩では支出が増加する傾向は強くなり、それに対処するためにさらに新田開発を進めようとする政策が取られました。

徳川吉宗も強力に新田開発を進めようとしたのですが、無理に開発した新田も水利や草地が整わずに維持することができず、放棄された例も多かったようです。

 

またこれまでは使えなかった急傾斜地の森林を切り払い、草地化するということも実施されたために土砂が崩落し川の堤防決壊につながる例も頻発したようです。

 

さらに江戸期後半には米も白米ばかりが求められ、また商品作物(綿や菜種など)の栽培も増加しましたが、この結果農地に投入する肥料の必要性が大きくなりました。草や屎尿だけでは足りなくなり、油粕や魚粉を購入し投入することになりますが、これらの「金肥」は高価であったために買えるのは富農だけであり、農民間の経済格差がさらに広がることにつながります。

また、高収量品種の栽培には害虫の繁殖もついて回ったようです。虫害が起こった例が頻発するようになりますが、神頼み程度しか対策がなかったために被害が大きくなりました。

 

水田の増加には、危険地帯への進出と言う問題も含んでいました。それまでは川の洪水はあっても「水害」にはならなかった。つまり水に浸かっても良い場所(自然の遊水地)があったのですが、そこもすべて水田や宅地になってしまえば「洪水」がすべて「水害」につながります。これも江戸中期以降に頻発します。

 

これらすべてを含めて著者は「水田リスク社会」と呼んでいます。

実はこれらのリスクは現代では一時的ながら解消したように見えます。

肥料不足は化学肥料で劇的に改良されました。治水も大規模な土木工事で洪水を抑え込みました。さらに病虫害は農薬で防いでいます。

しかし、これらの解消も実は根本的なものではないのではないかと言うことです。

さらにその他のリスク(温暖化?等)も出てきているのではないか、それが分かっていない現代人は江戸時代に人に笑われるかもしれません。