爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「新・ローマ帝国衰亡史」南川高志著

18世紀のイギリスの歴史家エドワード・ギボンが「ローマ帝国衰亡史」を著し、その後も多数の研究者がローマ帝国の運命について様々な視点から著述してきました。
帝国化したことによる皇帝の独裁体制の強化、財政難からの重税、ゲルマン民族の侵入、キリスト教の国教化などがその衰亡の要因として挙げられることが多いようです。
そして5世紀の西ローマ帝国の滅亡とともにヨーロッパでは新たに中世世界の政治秩序が形成されたというのが通常の理解です。
しかし、最近の学説ではローマ帝国の衰亡というものがそれほど重視されることなく、8世紀のフランク王国カール大帝までは古代末期ではないかと言われているということです。
また、ゲルマン民族大移動というものもそれほどの影響はなかったということで、その実数も小さいものでまた「ゲルマン民族」と言われるような性格の民族もなかったという説もあります。

ローマ帝国はその生成過程から「地中海帝国」と理解されていますが、これは初期はともかく後半ではまったく当てはまらないということです。終焉期には辺境と言われた地域がかえってローマ帝国の主要部分ではなかったかっということです。

本書の主要部分はローマ帝国中興をなした「コンスタンティヌス大帝」からの描写となっています。
コンスタンティヌスはドナウ属州出身の軍人の息子として生まれ自らも軍人として力をつけて皇帝まで上り詰めました。その後の軍人皇帝と同様の経歴でした。
しかし、その後の同様の皇帝と異なるのは、初期にはこれらの属州出身の下層階級の人々でも「ローマ人」としての意識を強く持ち、身なりから振る舞いに至るまでローマ風であることが彼らのプライドを支えていたのに、終焉期にはそういった価値観が失われていき、蛮族風の身なりのままローマにまで入ってきていたということが最大の違いでした。

こういった風潮に旧来のローマ人も排他的な態度を強めるようになります。もちろん実権を彼らに握られたという意識も強かったのでしょう。しかし、これは本来のローマ帝国人が持っていた他民族も取り込んで帝国を強化してきた歴史的な性格とはまったく異なるものでした。
こういった双方の意識の変質というものがローマ帝国自身の変質にもつながったということでしょうか。

国の内部の構成者自身の意識の変化により国の衰亡が起こるということは、まあありそうなことです。そこかしこに見られるようです。だからどうするといっても困るのですが。