爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

行ったことのある都道府県 福岡県

さて、現在住んでいる九州に入ってきました。結構長くなりそうです。
福岡には小学校のころに父の転勤で3年間住んでいました。その後、熊本に住むようになってからは仕事で来たり、通過したりとかなり頻繁に訪れています。

子供の頃に住んでいたのは、小学校2年になる時に名古屋から引っ越してきて、高宮の西鉄の駅からちょっと山側に入ったところの会社の社宅に暮らしました。小学校は西高宮小学校で、タモリさんが先輩と言ううわさもあります。
他にも芸能人などが多数出ているところで、近くの小学校まで含めた「高宮中学出身者」となると、森口博子氷川きよしなどそうそうたる面々が揃っています。
とはいえ、その当時はそういったことなど何も気にせず、夜は暗くなるまで遊びまわっていました。家のすぐ裏にはテレビ西日本のテレビ塔があり、その当時は周辺にはほとんど施設もなく、崖や林といった子供の遊び場(ちょっと危ないけど)ばかりでした。
また家のすぐそばには何にも使われていない空地もあり、子供たちの良い野球場がわりでした。そこに近所の子供たちと集まっては野球の真似事をしていました。
父の勤務は3年と言うことが分かっていたらしく、その後は東京の本社に戻るのが確定だったために、父は九州などに来ることはもう無いだろうと思ったのか、九州各地で仕事上の会議などがある機会には家族一緒に出掛けていき、観光をするということをしました。別府、熊本、長崎、宮崎、鹿児島といったところにはそれで出かけました。まだ列車も電化されているところが少なく、時間も長くかかったように思います。今では鹿児島まで2時間あまり、夢のようです。
福岡生活も終わりに近い頃、国鉄博多駅が新駅開業と言うことがあり、わざわざ見物に出かけました。その前の博多駅はそこより少し北側の街中で、たしか引っ越してきた当初は蒸気機関車が引いた列車で到着したのですが、新駅はビルの中で驚くほど近代的に感じました。ただし、周りは雑草だらけの空地ばかりだったのが印象的です。現在のようなビルが立ち並ぶ光景からは想像もできない風景でした。

福岡は現在でも非常にコンパクトな都市ですが、当時はその範囲も狭く、今のように郊外へどんどんと広がっている状況とはかなり違っていました。大濠公園の北側の海沿いに「西公園」という小高い丘の公園がありますが、現在では町の真ん中のような場所で、なぜ「西」なのか疑問に思う人もいるかもしれませんが、昔はあそこが本当に西のはずれで、その西側には何もなかったように思います。現在ではそちらがかえって開発され発展しているようですが。

予定通り3年間で父の福岡勤務も終わり東京に引越ししてからは福岡には行くこともなくなったのですが、就職し熊本に赴任してからは何かにつけて福岡に出かけることも多くなりました。それでも高宮に寄ってみるという機会はほとんど無かったのですが、今から10年ほど前にたまたま会社の慰安旅行で福岡に行くということになり、自由行動の時間があったので昔住んでいた辺りに行ってみました。
西鉄の高宮の駅を降りて西側に歩き、5分ほどのところなのですが、建物は相当変わっており判別は難しいものでした。しかし、一角に墓地がありそこはさすがに手つかずで昔のままだったので一挙に思い出が甦りました。
そこは石垣が組んであり少し高くなっていて、登って遊んだりしたものです。その墓地のところから入っていく細い道の中ほどに社宅があったのですが、建物は建て替えられているもののどうやら以前どおり社宅として使われているような建物でした。
そこから昔遊んだ周辺のキリスト教会、高宮神社などを巡り、(テレビ塔周辺には現在は近づくことができません)(なお、その後テレビ塔は解体されたようです)それから昔の通学路の通りに西高宮小学校まで行ってみることにしました。子供の頃はかなり遠い道だったように思いますが、さほどの距離ではなかったようです。さすがに50年以上前は木造校舎だったのがコンクリート製になっていました。学校の山側には昔から溜池があったのですが、池そのものは今でも残っているものの、公園として整備されその周りには高層マンションが立ち並ぶという、びっくりするような光景になっていました。
なお、2歳違いの弟もたまたま福岡に仕事で出かけたときにやはり高宮に行ってみたそうです。しかし、弟はほとんど思い出すこともできなかったということです。私は小学校2年から4年までですが、弟は幼稚園から小学校2年まで、この2年の差は大きかったようです。
福岡はさすがに長くなるので次回に続く。