爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「将棋八大棋戦秘話」田辺忠幸編

将棋のタイトルというものにはいわゆる7大タイトル戦と全日本プロトーナメント(現朝日オープン選手権)の8つの大きなものがあります。
それぞれにスポンサーとしての新聞社がついており、日本将棋連盟はそことの契約金を得て、さらに対局料と賞金が各棋士の収入となります。
それぞれの棋戦には歴史も違いがあり、また参加資格や対戦方法など少しずつ違っています。そのため以前は活躍する棋士も若干の差があったのですが、羽生善治が全タイトル制覇ということをしてしまい、その差が感じられなくなったようにも思います。
そのような棋戦にまつわる話を、各新聞社の観戦記者と呼ばれる人々が執筆し、編者がまとめたものが本書ですが、やはり各棋戦における名勝負の紹介といったものが主となっています。さすがに各棋戦の特徴や欠点といったものを客観的に書くというわけにはいかなかったのでしょう。

近代将棋というものは、やはり名人戦から始まると言えるようです。それは昭和も十年になってからのことで、それまでの名誉職の名人に対し実力で勝ち抜いて挑戦するという名人戦というものを立ち上げ、それで将棋界を刷新しようということになりました。当時の東京日日新聞(現在の毎日新聞)がスポンサーとなり、関根金次郎十三世名人の英断を持って始まったそうです。
その後、木村義男名人がしばらくその座を守りました。
そして、終戦後すぐに名人戦も大改革が行われ、順位戦というリーグ戦により挑戦者を決めるという現在まで引き継がれている形式が確立しました。
しかし、その直後に契約金をめぐる交渉が決裂し、毎日新聞の契約が切れてそれを朝日新聞が獲得するということになりました。毎日側は名人戦が窃盗されたと憤慨しましたが、将棋欄がない新聞というものは寂しいということで、王将戦という棋戦を立ち上げることになりました。王将戦では有名な「陣屋事件」というものも起こります。
その後、朝日新聞とも契約金問題が決裂し、結局また毎日新聞名人戦が戻るということになったのですが、王将戦は止めるわけにもいかず、スポーツニッポン紙との共催で続けることになったそうです。
朝日新聞名人戦を手放した後、全日本プロトーナメントという棋戦を主宰し、その後朝日オープン選手権というタイトル棋戦様のものを始めました。

ほかの棋戦は、王位戦中日新聞等三社連合)、棋聖戦産経新聞)、棋王戦(共同通信社)、王座戦日本経済新聞)、竜王戦(読売新聞)、となります。
私が将棋を良く指していたのは昭和60年あたりなのですが、そのころちょうど竜王戦がそれまでの十段戦から発展して現れてきました。その時の宣伝文句が「将棋界第一席の棋戦」でした。一番の後発のくせになぜそう唱えるのかよくわからなかったのですが、本書にその答えがありました。契約金額がもっとも高かったために将棋連盟より第一席とするというお墨付きを得られたそうです。いかにも金次第の読売と将棋連盟らしい話でした。

各棋戦により若干の違いはありますが、戦後すぐに大山時代というものがやってきてしばらく続きました。しかし中原がそれをひっくり返して席巻しました。その後稲光のように光速の寄せ谷川の時代となりました。
しかし、その後に来た羽生善治は圧倒的な強さを見せました。そしてそれに続いた羽生世代ともいえる若手棋士が続々と出現、将棋新時代と言えるものになっているようです。

棋戦というものはほとんどが現タイトル保持者に挑戦者決定戦を勝ち抜いた挑戦者が5番勝負か7番勝負で挑戦するというものです。挑戦者決定の過程が若干違うために棋戦により若手が出やすいものやベテランが有利のものもあるのですが、その違いというものは本書では少し分かりづらい描写であったのが残念です。
しかし、タイトル保持ということになれば収入も大差がつくために棋士にとってはぎりぎりの戦いとなります。相撲も同じようですがその試合時間が圧倒的に長いというところで精神力の戦いという要素も大きいようです。タイトル戦の勝敗を分けるのはやはり心技体の充実というもの、特に精神力の強さが物を言いそうです。

最近は将棋界の情勢を見ることもあまりありませんが、時々テレビの番組を見ても名前のわからない若手が出てきています。それなりに賑わっているようですが、大丈夫なのでしょうか。