爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「よみがえる文字と呪術の帝国 古代殷周王朝の素顔」平勢隆郎著

著者の平勢(勢の字は正確には別字)さんは古代中国史の研究者ですが、様々な点について独自の学説を展開し発表しているために多くの研究者からの反論を受けているようです。
この本は自説の一部を広く一般向けに解説しようというものですが、最終章には他の研究者との討論の過程にも触れてあり、なかなか興味深いものです。

学者の間の学説の議論というものは、自分に関係なければ非常に面白いものです。(申し訳ないとも思いますが)彼らにとっては自分たちの存在を賭けての討論ですので、真剣極まりないのですが、傍からみる分にはこんなに面白いものはありません。
惜しむらくは、この本を見る限りは平勢さん側の主張だけを見ることになるために、一方的になることです。もちろん本書中にも他の研究者の主張として引用されていますが、それが正確な引用かどうかもこれだけ見ただけでは不明ですし、その人々がこの本を見てからの反論というものも見なければ何とも言えませんが。

まあ、そういった点はありますが、本書の中での著者の主張ということで紹介しておきます。できればこれについての他の研究者の反論も見てみたいものです。

中国古代は夏王朝から始まり、殷(商)、周と続いてその途中から春秋戦国時代に入りやがて秦により統一されるということになっていますが、それは史記などの書物に書かれた内容でした。その後、殷の時代の直接の資料として文字の書かれた甲骨が発見されその内容の検討も始まりましたが、史記に書かれた殷の王の名称がほとんど正確であったということで、史記などの描写が正しいという印象ができたのですが、実は違うこともいろいろあったようです。
もう一つの直接資料として、青銅器に鋳込まれた銘文というものもあります。周王朝初期からのものが残っており、その検討も引き続き行われていますが、はっきりしているようなその内容も実はよく考えると別の意味も出てくるようです。

古代資料には干支で表記される年月日が記されているのですが、それを並べてみるとなかなかきちんと整合しないということが多かったようです。これについて、不思議には感じながらも記録の正確性を疑うことなく単に時間配列が良く分かっていなかったと解釈されていました。そこに著者は着目し、王などが即位した時の改元について、現在の日本のように前王から交代して即位したすぐに改元するか、翌年の年初に改元するかの違いがあるのではないかと考えたようです。
著者によれば、現在のような踰年称元法というべきものは紀元前338年に斉の国で始まっており、それ以前は立年称元法であったために、それを調整しなければならないということのようです。

また、殷に始まったとみられる現在の漢字の元のなる甲骨文字ですが、その他の国にも原始的な文字はいくつかあったのかもしれないようです。しかし、その痕跡は全く残っておらず今となってはたどりようもありません。しかし漢字もできてすぐに広まったということはなく、甲骨文字を使っていた当初は殷の王朝のみで祭祀のために使われるだけでした。それは周になってからも同様で、王朝が支配の一環として漢字の使用も独占していたということです。

それが、周の幽王の時に一時王朝が断絶するという事件が起こり、その際に文字を独占して管理していた官僚たちも散り散りになってしまったということです。それが各国に流れ着き、それぞれ文字使用を伝えていった。そのためにその時代ころから周以外の各国での青銅器の鋳造の開始とか、銘文の内容の分散というものが起こってきたのではないかということでし。

そのような周の支配下にあった各国が独立的な体制に移り変わる時に、手にした文字を使ってさまざまな前代の伝説も作り出していった。それが今に残る古代の伝説なのだそうです。したがって、夏殷周の存在というものも今に残る書物の内容と実像とは大きく異なるだろうということですが、この辺が他の研究者との差異が大きいということです。

まあ私自身も史記をはじめとする書物に親しんで中国古代に興味を持ってきましたので、それが戦国時代の創出によると言われると少し抵抗もありますが、それ以上に真実はどこにあるかということを知りたい気持ちも強いものです。論争の盛り上がりを期待したいものです。