爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「再読:日本の循環型社会づくりはとこが間違っているのか」熊本一規著

かなり前に読んだ本ですが、内容はほとんど忘れていました。エネルギーもすべて含めた「循環社会」についての本かと思いましたが、「リサイクル」というものを現実的に解説したものでした。といっても著者が深いところまで興味がないというわけではなく、最終章の解説にはそれも触れてはいます。本書の目的として現実的解説を主としたというものなのでしょう。

著者は明治学院大学教授で環境経済が専門の方ということで、ごみ・リサイクル問題では市民サイドの観点からの提言も多くされているということです。

ダイオキシン騒動の結果、高温でごみを燃やすガス化溶融炉というものが普及しましたが、高温で燃やしても急速冷却することで他の有害物も灰の中に含まれてきます。これらの灰をまた廃棄物として処理しなければならなくなりました。
そのような有害廃棄物を処分する最終処分場というものが作られていますが、これも最終処分という名に沿うような内容ではなく、破損して漏れ出す恐れが非常に強いものになっています。
まず汚染物質の発生を抑えること、そしてすべてを回収するシステムを作らなければならないということです。

家庭ごみの有料収集ということも広まっていますが、原則としては市町村がその費用を賄っています。道路、警察、消防といった行政サービスは税金で運営されていますが、一定以上のものになると受益者負担となります。(高速道路や特別な警備など)
しかし、家庭ごみの税金負担の処理というものが何をもたらしたかというと、ごみの増大につながりました。有料化はごみの減少も期待されて導入されているのですが、その一方で不法投棄が増えるという問題も引き起こしています。
著者が引いている例では、下水の問題を挙げています。下水処理料金が取られるからといって、下水を不法投棄しようとすることは(あまり)ありません。それは徴収する方法として上水道料金に上乗せするということを導入しているからです。
家庭ごみの処理にもこれを導入すれば良いということです。つまり、ごみとなるような物を作り出すところに費用を負担させる。「拡大生産者責任」を守らせるということです。生産者は製品を販売する段階でごみ処理費も負担しておくということです。その費用は当然製品の価格に上乗せされますが、ごみを捨てる際には無料となります。こうすればわざわざ暗くなってから隠れて不法投棄などということをする必要もまったくなく、正当に捨てれば良いだけのことです。
しかし、日本では経済界の強い抵抗があり、「拡大生産者責任」は忌避されています。ドイツではすでに導入されているのですが、日本ではそこに行かないように抵抗していろいろな施策を実施しているために、おかしなリサイクル法が横行してさまざまな問題を引き起こしています。
容器リサイクル法、家電リサイクル法など、そういった法律では消費者に負担を求めるなどということになっているために、不法投棄が横行したりします。その基本が間違っているのに、末端の消費者が振り回されるだけなのはおかしな話です。

産業廃棄物の処理においても有価物偽装の問題が絶えないようです。廃棄物であれば規制が厳しいので、有価物として処理したいということになるのですが、実態は廃棄物であるために論理破綻となります。
これも生産者責任とすることが必要です。

日本のおかしなリサイクルシステムはすべて産業界の都合のためにできています。そこにメスを入れなければまともなシステムにはなりそうもありません。
プラスチックのリサイクルなどもひどいものです。家庭ごみの中からのプラスチック分別などということがされていますが、プラスチックは完全に同一もものでなければその成分が異なるためにマテリアルリサイクル(原材料として再使用する)ことは不可能です。したがって、せいぜいプランターや杭などどうでもいいようなものにしかなりません。
これも拡大生産者責任によりケミカルリサイクルに向かわせることが必要です。

本書最後にありますが、これまでの社会は産業社会の論理に基づき構築されてきた。現代において根本的に疑うことが必要なのは、その産業社会の論理なのだ。ということです。