爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「中世日本の予言書 (未来記)を読む」小峯和明著

平安時代末期から室町時代にかけての中世期には、「未来記」と称される予言を記したという書物が流行したということです。
戦乱が続いた時代にあって、このような乱世は昔予言されていたということを主張する人々があり、聖徳太子などがその予言書を残していたとしたのですが、もちろんそのすべては偽書というべきものであり、その当時の人々が聖徳太子などの名前を使って作っていたものです。
社会不安が非常に大きい中、仏教や神道などの宗教の一部としても活用されたそのような「予言書」というものを研究されている著者がその内容を紹介しています。あまり一般には知られていないことなのではないでしょうか。

未来記のなかでも特に有名で影響も強かったのが、野馬台詩(やまたいし・やばたいし・やまとし などと読まれる)と聖徳太子未来記です。
野馬台詩は524句という短い一編の詩です。中国六朝時代の宝誌和尚が作ったとされ、遣唐使として中国に渡った吉備真備が持ち帰ったという伝説が作られました。
この詩自体は固定しているのですが、その注釈書がたくさん作られたということです。
聖徳太子未来記というのは、それとは少し異なり一定の形・内容というものが無く、文書や碑文が地中やお寺から発見されたという形で紹介されることが多かったようです。

ほかにも未来記の作者として伝えられるのは、最澄空海藤原定家・浦島太郎まで出てくるそうです。これらももちろんそれらの人々が実際に残したということではなく、後世の人がその名を借りて書いているものです。
また未来記とまでは言わずとも、遺言、遺告といった形で有名人が残したという体裁を取るものもあり、名のある人は多くそこに使われているようです。

このような未来記が作られた必然性というものは、やはり平安末期からのそれまでの社会秩序を根本から壊すような乱世の展開であったものと言えます。神仏が日本の乱世に愛想をつかし日本を離れるといった内容を予言の形で書き残すというところにその性格が表れています。

未来記の作者とされる、宝誌和尚ですがなぜそこに名前が使われたのか、事情はよく分からないようです。中国六朝時代の梁の国に実在していた僧だということで、予言が当たったということがあったことからこのようなところに名前が出るようになったのかもしれないということです。また観音の化身であったという信仰も生まれたようで、その辺から日本に伝わったのかもしれません。
聖徳太子の方は名前は誰もが知っていますが、その全貌はほとんど不明のままです。しかし、その後太子伝といった物語が発展し誰もがあるイメージで捉えるようになっていきました。こちらも救世観音の化身という信仰が生まれています。

未来記の内容についても細かく触れてありますが、少々面倒になったので紹介はしません。ただ印象はあのノストラダムスの大予言と似たようなものです。なんとでも言えるのかもしれないなということです。

未来記の注釈というものの流行は応仁の乱ころまでは大きなものでした。しかし、それをはるかに上回る戦国乱世になってくるとかえってそのようなものの価値も見いだせなくなってしまったのかもしれず、徐々に下火になっていき、江戸時代にはほとんど見向きもされなくなっていったそうです。中世という宗教に支配された時代だからこそのものだったのかもしれません。
いろいろと、知らなかったことはあるものです。