爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「反戦軍事学」林信吾著

ジャーナリストという林さんが「戦争が嫌だと思う人ほど正しい軍事知識を知ってもらいたい」という思いで書かれたものです。
本書出版は2006年ですが、当時の首相でその方向性が危険視されていた安倍が再登板し、今まさに安保関連法整備という挙に出ている時に非常に参考となるものです。著者に自衛隊・軍関係の経験はないようですが、その認識は的確であり、「軍備を進める者たちの論理に対抗するためにも正確な知識を」という目標には適するものです。

軍隊(自衛隊も一緒ですが)の組織・階級などの説明から入門編として書かれていますが、知らない人も多いのでしょう。さらに現在の自衛隊の兵器も解説されていますが、それについては装備が非常に高価であり(海外相場の数倍)しかも品質が悪いということがあるようです。なぜか兵器は国内調達という原則であるために価格・品質の競争原理が無く、とんでもない装備が納入されているようです。
本書中には、SF仕立てで「もしも自衛隊が法改正で国防軍となり、共同安全保障体制となったら」という物語も書かれていますが、「自衛のために海を越えていく」という事態も描かれています。ここらあたり、まさに現在の政治状況の予言のような場面です。なお、その国防軍徴兵制ではないもののその経験者に資格や就職優先などの優遇策を取ればいくらでも志願者が集められるという設定にされていますが、これも臨場感があります。

本書刊行時の2006年には政権内部や在野右翼等からさまざまな軍備に関する発言が相次いでいましたが、その中には反戦者を明らかに軍事について知らないものとして侮蔑するようなものもありました。しかし、著者が指摘するにはそれらの発言の方が実際は軍事知識が欠けているものも多く、また歴史認識も変なものがあったようです。これは今でも同様でしょう。
イラク戦争への自衛隊員派遣についても、アメリカの戦争の大義云々ではあれこれと政権担当者の強弁がありましたが、これらはもし中東地域の石油確保が理由だとするならそれは政府のエネルギー政策の不備が第一であり、それに自衛隊員が犠牲を払う可能性があるというのは筋が通らないということです。
また、自衛隊が軍隊でないことの理由として軍刑法が存在しないということを挙げているものもいましたが、それこそ厳然とした大義を示し自衛隊員の自由意志で進んで行こうと思わせるのが当然で、敵前逃亡しても裁けないなどということを理由に挙げるのは筋違いです。そのような論者は政府から退き、軍事オタクとして生きてください、石破さん。というのが著者の意見です。
核兵器を持つのが核戦争の抑止力であり、日本はアメリカの核が在るから守られているというのも、相当怪しい話で、イスラエル核武装が公然であった1973年にエジプトの侵攻を受けました。それだけでも核の抑止力というものは崩れるのですが、それ以上に核を持った国が自国の破滅を覚悟して使うという事態はいくら核武装をしていても絶対に防げません。そのような場合には単純に国土の広さだけが決め手であり、日本など数発の核ミサイルでほぼ絶滅してしまうのに、いくら刺し違えにしたところで破滅には変りないようです。
靖国問題についても有名な評論家などが平気でとんでもない説を出しており、政教分離で政権が神社後援をできないと言うことと、公明党創価学会と関係するということを同列で語るものも居ますが、「政府」と「政党」とを明らかに恣意的に混同させての論であり、政府の宗教活動は絶対禁止ですが、政党はまったくそれには縛られません。政党というのはあくまでも「自由団体」だからだそうです。
なお、靖国神社に戦死者を祀るというのは天皇が現人神であり日本が神国であるという思想と不可分であり、それは戦後すぐの天皇人間宣言で崩壊しているので存在の意味が失われているのではないかというのが著者の意見です。

これまでの旧社会党系の人が中心の護憲運動というのは、現実的な国防論議にはまったく踏み込むこと無しに自衛についても論議をしてきませんでした。そのために安倍政権(第1次)のとんでもない軍備・自衛論議にもきちんと対処できないのではないかということです。これはまったくその通りでしょう。
本書には今後の見通しとして、集団的自衛権を認める方向で進めば現在の日米の力関係から、自衛隊の若者たちが「米軍のポチ」どころか、下手をすれば「弾除け」として使われかねないと予言しています。アメリカが勝手に定義した「テロとの戦い」に駆り出されかねない。まさにその危険が具体化しようとしています。

現在となっては後悔だけですが、著者の「if」によれば少なくともベルリンの壁崩壊の1989年の時点で日本の安全保障政策は変換されるべきでした。米軍の補完勢力として自衛隊を強化するという政策をやめ、国連を通じて世界秩序の再構築に貢献する日本を目指すべきでした。
湾岸戦争でも独自の活動としてペルシャ湾護衛艦でも派遣しておけばよかった。そして米ソをはじめとするこれまでのサダムフセインへの大量の武器売却などの責任を追及するべきでした。

また、著者は「歴史認識」という点についても広い視野の意見を発しています。中韓の言う歴史認識は太平洋戦争までの植民地支配と大陸侵略をほぼ指していますが、それ以上に視野を広げて世界規模での歴史を考えるべきだということです。(もちろん、植民地支配と侵略はきちんと謝罪・賠償して精算しておくのは当然です)
つまり、宗教で言えばイスラム教徒を敵として戦ったことが一度もないということ、またユダヤ人を迫害したこともない、など、これまでの歴史で極めて汚点の少ないという特質を持っています(アジア侵略を考えに入れてもです)
これは非常に大きな歴史的利点になるということです。また核戦争についても唯一の被爆国というのも紛れもない事実です。

新書版の比較的楽に読めるような本ですが、非常に内容の濃いもののように感じました。