爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「倫理力を鍛える」加藤尚武編著

このところ倫理学者の加藤尚武さんの本を集中して読んでいますが、この本は社会の様々な問題に対して倫理学であればどのような切り口で考えていくかと言うことを具体例を挙げながら語っていると言うもので、副題にあるようにトレーニングブックとしての性格を持っています。
また、この本も加藤さんが書いたというわけではなく、題目別に多くの倫理学者が手分けをして書いているようです。

まえがきは加藤さんが書いている部分ですが、本書の性質を、「日々押し寄せてくる”正しいか正しくないか”の新たな難問を、応用倫理学がすすめる問題解決思考法でとく」と言う風にあらわしています。
鯨は食べていいか?タバコは吸っていいか?不倫は絶対ばれなければしていいか?累進課税は正当か?等々、「・・・・していいか?」という問いに答える評論家などの語り口がうまいと信じたくなるが、それが「まやかし」である場合もある。この本ではいろいろな理念を調停する必要があるということ、そしてその場合にどのような状況でのことかということをはっきりさせるということ、(状況が違えば調停の条件も違う)そういった手法を身に付けるという方向で書かれています。

「良い戦争」と「悪い戦争」の区別はできるか?という命題に対してはこの項目の担当の島内明文さんは次のような文章をあげています。クラウゼヴィッツの言葉(戦争論)は今でも生きている。(戦争は政治的手段とは異なる手段をもって継続される政治に他ならない)、日本ローカルの平和主義には致命的問題点がある。(現に存在する暴力を解消できない)、しかし、現実主義・平和主義ともに可能性を全面的に否定は出来ない。

嫌煙権は成立するか? 他に被害を及ぼすのは禁止できても誰も居ないところで吸うのはなぜいけないのか。これにはタバコが自己に有害であっても自己決定権というものがあり、「愚行権の行使」という権利がありうるということです。癌になっても自業自得だと言われても、タバコを吸うのは自分の勝手ということがあり、それにはこの自己決定権というものが根拠となります。
ただし、それには条件があり、1判断能力のある大人なら、2自分の生命、身体、財産に関して、3他人に危害を及ぼさない限り、4たとえその決定が当人にとって不利益なことでも、5自己決定の権限を持つ。
これは結構厳しい条件のようで、タバコも常習性のあるものなので「自己決定」ではなく一度吸ったらやめられないということから「決定はしていない」とも言えそうです。
もちろん、周りの人の受動喫煙などは論外ですし、未成年者もここからは漏れます。

地球環境を守るためには「環境ファシズム」型の政策もやむをえない? ラディカルエコロジストという人々は環境を守るためには人間を減らす(!)ことも必要だと言うことを主張するそうです。人口減が望ましいことならばエイズも放置しても良いと言うことにもなるとか。
そういった極端に見える論議はともかく、人間と自然の共生ということはより深く考えてみる必要があるのでしょう。

加藤さんの名前を「環境倫理学」から知って本を探しましたが、この本は環境倫理学ばかりでなくそれを含んでより大きな範囲の概念である「応用倫理学」についての一般向け解説書でした。倫理学というと難しいようですが、「・・・・していいか?」ということの解決のための議論ということですので、本当に必要なことなのでしょう。「まやかし論理」に騙されないためにも見る目を養いたいものです。