爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「反貧困 ”すべり台社会”からの脱出」湯浅誠著

著者の湯浅さんは貧困対策を長らく実施してきており、NPOなどの活動を行ない民主党政権下では内閣府参与としても活動してきたと言う人です。この本は2008年出版ですのでその少し前のものですが、さまざまな出版関係の賞も受賞していると言うことです。
労働環境の悪化などにより貧困者が増大し格差が拡大していると言われていますが、政権はそれをなかなか認めたがらないせいもあり何が正確なところかというのは掴みにくいものになっています。
長らくぎりぎりにまで追い詰められた貧困者の救済活動をやってきた著者ならではの、具体例を挙げながらの説得力のある文章となっています。

セーフティ・ネット(安全網)とは困窮する人々を救うためのものですが、それがどんどんほころんできていると言われています。セーフティ・ネットには三層構造があり、雇用のネット・社会保険のネット・そして公的扶助のネットということです。
雇用のネットということでは、非正規雇用者の大幅な増加により全労働者の1/3がすでに非正規、中でも若年層は45%、女性では53%ということです。フリーターは平均年収140万円、年収200万円以下の給与所得者が1022万人(2006年)ということで、もはや「まじめに働けば食べていける」とは言えなくなってきました。これは労働者が望んだものではなく、「自由で多様な働き方を求めた」などということはありません。
また非正規雇用者の増大により、正規雇用者の労働環境も悪化の一途をたどっており、月収20万円以下の正規雇用者も増えているそうです。
社会保険も非正規化のために失業保険などに加入できない労働者が増えており、失業給付を受けられたのは2006年には21%にまで落ち込んだそうです。
生活保護もごく少数の不正受給者が問題とされていますが、実際には不正受給件数が14000件に対し本当に必要なのに生活保護が受けられなかった人が600万人以上と推定できると言うことで、どちらが本当に深刻な問題か明らかでしょう。
うっかり足を滑らせたらどこにも引っかからずに最後まで落ちてしまう。そういった状態を著者は「すべり台社会」と称しています。日本はどんどんこの状態に近づいています。
その結果、病死する、自殺する、犯罪を犯すといったところまで行き着いてしまう人が次々に出てきています。

そのような境遇になった人に対して「自己責任」と言って批判する人達がいます。自らの恵まれた立場はすべて自分の努力だけによるものと思い、貧窮する人は努力が足りないと思ってそういう発言をするのでしょうが、実態はまったく異なります。貧困とは選択肢がどんどんと奪われていき、自由な選択ができなくなる状態だからと言うことです。
著者はいろいろな障害にあってもなんとか切り抜けていく人の能力を「溜め」と表現しています。少しでも貯金など財産があれば病気で仕事ができなくてもしばらくは大丈夫とか、失業しても友達が就職の世話をしてくれたとか、それがその人の「溜め」というもので、それが多ければ多いほど安心ができるのですが、これがどんどんなくなって行ったのが困窮者となります。それは本人だけの責任とも言えないものがあります。

自殺者が多いといった現象に対しては無視は出来ない政府ですが、なかなか貧困と言うものを認めたがらない性癖を持っています。この本の出版当時(2008年)のことですが、著者は「少なくとも政府は貧困問題を直視もしていなければ、公認もしていない」と断定しています。アメリカなどは一応貧困問題を公式に認めたうえで対処を議論しているのに比べあまりにも落差が甚だしいとしています。

このような「すべり台社会」に少しでも歯止めをかけるために著者はさまざまな活動をしてきているのですが、生活保護の申請に同行するというだけでも効果があるそうです。というより、ほとんどの自治体で生活保護の申請をなるべく出させないようにという方針があるらしく、それを食い止めるためにも第三者が同行する意味があるというのですが、あまりにも情けない話です。
このような状況なので本書にも語られているように北九州で生活保護を断られて「おにぎりが食べたい」と言って餓死した人が出たと言うようなこのになるわけです。

またこのようなぎりぎりの生活をしている困窮者を狙った「貧困ビジネス」なるものも横行しているそうで、それをできるだけ食い止める活動もあるようです。労働者派遣業なども一気に大手業界となりましたが、内実はひどいものがあり、昔の「たこ部屋」よりひどいものもあるようです。

また、生活保護をめぐる話ではその給付水準が労働者の給与より高いということで批判されるということもありますが、これもあまりにも低い労働者賃金と比べること自体がおかしいのであって、最低賃金より生活保護が高ければ下げるというのではなく、最低賃金を上げる方向でなければなりません。
そもそも、現在の最低賃金というものはその設定の当初は労働者が家計を支えるという意味でできたものではなかったようです。想定していたのは主婦や学生のアルバイトなど、いわば「お小遣い」の稼ぎという意味のものであり、これは国民年金の金額設定とも通じるものだったそうです。つまり、それ以外に一家の主人のきちんとした収入がある中での労働の賃金などという意味のものであり、そもそもそれで一家が食べられるようなものではありません。
しかし、そのような非正規労働者最低賃金程度の収入や国民年金だけで暮らしていかなければならない所帯が増えてきました。そのようなところの暮らしが厳しいのは当然と言えます。

この本の出版から7年が経ちましたが、さらに状況は悪化しているようです。このような困窮者に落ちてくるだけの「トリクルダウン」があるのでしょうか。