爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「絶対音感神話」宮崎謙一著

絶対音感」というものには数々の神話がつきまとっています。絶対音感を持つ人は耳が良い、絶対音感を持つ人は音が全部ドレミに聞こえる、モーツァルトは完全な絶対音感を持っていた、絶対音感を持つ人は1万人に1人(または1500人に1人)等々です。
著者は新潟大学の心理学の教授ですが、音楽のプロではないということで絶対音感というものを科学的に、客観的に研究することができ、その結果本書のような非常にはっきりと絶対音感についての誤解を解けるようなものが書けたといえます。

絶対音感の解説のために、本書は西洋音楽の音階の構成の説明から入っていますが、中央のAの周波数を440Hzとし1オクターブを12音に等間隔に分割したものがピッチと言うものだということです。
絶対音感を持つと言う人はそのピッチクロマを知覚し、周波数を特定しているということになります。ピッチと周波数とは対応関係にあるので絶対音高で表す方が簡単なのですが、実は音楽をその絶対音高で表すと言うこと自体は音楽が人間に知覚されて初めて音楽として経験されると言うことと直接は結びつかないということです。
絶対音高は人間が知覚するものであるということは確かだが、人間が知覚する音楽というものは絶対音高の集まりではないということが強調されています。

音楽を楽しんできた人間は実は音の関係(ピッチ関係)を認識すると言う能力を発達させてきたのですが、それは「相対音高」の認知だと言えます。したがって、音楽はすべて「相対音高」によって形作られていると言えます。
絶対音高は周波数の値と直接対応しているが、相対音高が対応しているのは周波数そのものではなく、周波数の関係(周波数の比)だということです。
そして、人間にとっては相対音高の方が絶対音高より重要だったと言うことが歴史的に定まってきていたそうです。つまり、音声による言語コミュニケーションでは話す声のピッチレベルは人によって異なっていても、抑揚がどうであるかということで意味を伝えているなら相対音高によりその意味が伝えられていたからだそうです。

著者は新潟大学で教育と研究を続けていた関係で、教育学部の音楽専攻の学生を教えており、また対象としての研究も行ってきました。教育学部音楽専攻とは幼児から音楽の練習を重ねてきた人々が進学しており、一歩間違えれば(上手く行ってたら?)プロの演奏家になっていた可能性もある学生がほとんどでしょうが、彼らの絶対音感について様々な研究を実施し興味深い結果を数多く得ています。
まず、絶対音感を持つ人の比率というものが、昔のアメリカのバッチェムの報告で1万人に1人などと言われていますが、これは実はまったく科学的な論拠がない数字だということで、日本の学生を見てもその程度に差はあるものの絶対音感があると言って差し支えない程度の人が40%に登っているそうです。これは正答率が90%以上という程度のものなのですが、対象がプロの音楽家ではないと言うことを考慮し、プロ養成の学校の学生を測定したところでは正答率90%以上が60%、正答率100%も1/3も居たということです。
なお、どうやら国により絶対音感者の比率と言うものは大きく異なり、日本や中国では非常に多いものの欧米では少ないと言うことがあるそうです。
ただし、絶対音感といっても正確な絶対音感群ばかりでなく不正確な群、非常に優れた相対音感群などが混在しており、正確に判定するのは難しいようです。

また、ピアノのような固定ピッチの楽器ばかりではなくバイオリンのような楽器はピッチが可変であり、また声楽でもピッチのずれはよくあることで、またその微妙なずれが音楽的な味わいにもなるのですが、そのような固定ピッチからの少しのずれというものが絶対音感保持者には苦手のようで、研究のために少しずれた音を判定させるという実験を行っても近いどちらかの音程に入れて判断すると言うことをしがちだそうです。

さて、絶対音感というものが音楽を行う上で役に立つかどうかと言うことは、よく言われるようにそれほど確固とした事実ではないのですが、一般にはそう信じられており子供に絶対音感を付けされると言う幼児教育も存在していて多くの親が受けさせています。
しかし、それほど絶対音感が音楽家として必要なものかということは怪しいものです。そんな中で、絶対音感が役立つ分野というものも間違いなく存在しており、それは「聴音」「読譜」「初見視唱」といってまとめて「ソルフェージュ能力」と呼ばれるものですが、実はこれらは「音楽学校受験のための試験」に必須のものになっています。聴音の試験と言う科目もありますが、それには絶対音感があると非常に有利になっており、そのために絶対音感がある受験生が多くなると合格ラインがどんどん上がってしまいその結果ますます試験の問題が難しくなるという事態になってしまうようです。
しかし、そのような受験音楽だけの問題とは別に、一流の演奏家にとってみれば絶対音感があると逆に困ったということもあるようで、名歌手の伴奏者として有名だったジェラルド・ムーアという人は歌手からの依頼である曲を1音下げて演奏するようにしたものの本番になってみると複雑な移調に混乱してしまったと言うこともあったとか、バイオリニスト五嶋みどりさんがアメリカに渡ってオーケストラに参加した際にそのオーケストラは基準ピッチを442Hzにしていたために耳が慣れるまでに苦労したとか、バロック時代の古楽器を使う際はAを415Hzに調律するために絶対音感を持つとかえって違和感を持つとか言った例があるということです。

著者とその共同研究者は、絶対音感の国際比較を行ない日本や中国の音楽専攻学生で非常に高い率でそれが存在している一方、欧米では低い率であることを示しましたが、同時に「相対音感」の調査も行っています。これでは逆に欧米の学生が高いスコアを出しているのに比較して日本の「音楽教育」専攻の学生が低いと言うことが見られます。(なお、日本でも演奏専攻の学生は絶対音感とともに相対音感も高いようです)
どうやら特別に音楽的才能のある一部の人以外では、絶対音感の幼児期からの訓練を行うことが相対音感の育成の邪魔になっているのかもしれません。
なお、その中で中国の音楽学生の調査では、伝統音楽専攻の学生はほとんど絶対音感が無い一方、相対音感は非常に優れていたということです。音楽の成り立ちというものが西洋音楽と全く異なっていることを示しており、すでにほとんど壊滅していますが日本でも伝統音楽にはそのような性質があったのでしょう。

日本の幼児音楽教育では、有名なヤマハの音楽教育システムがありますが、その他にも絶対音感に焦点を置いた「江口式絶対音感プログラム」というものもあるそうです。いずれも絶対音感取得には有効であるようなのですが、それだけで終わらせるのではなくその後に相対音感を育成するようなシステムであるにも関わらず、絶対音感を獲ただけで満足して辞めてしまう子供が多いそうで、それでは音楽的な才能全体から見ると不十分だそうです。
そしてどうやら音楽教育を担うべき音楽教育専攻の学生に、相対音感が不十分なものが居る可能性が多く、日本の音楽教育自体についての疑問も生じる余地があるようです。

絶対音感などとは縁遠い自分で、何となくそういったものへのコンプレックスも感じていたのですが、それらをめぐる状況というものが本書では詳しく解説されており、かなり理解することができました。すっきりした思いです。