爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「大江戸生活体験事情」石川英輔・田中優子著

この本も石川英輔さんと田中優子さんの共著のものですが、1999年にそれ以前の2年に雑誌に連載されたシリーズを一冊にまとめられたものです。
江戸時代の生活について細かな検討をされていた著者ですが、実際にそれを体験してみようというもので、不定時法と旧暦を体験とか、火打石で火をつけるとか、油を使った行灯だとか、筆と墨との筆記生活とか、着物を着て下駄を履いた生活といったものです。

薪炭と人力以外のエネルギーはほとんど使わなかった生活と、一人一日11万kcalのエネルギーを使っている現代の生活とは大きな違いがあるのでしょうが、例えば不定時法という日の出と日の入り付近を一定の明け六つ、暮れ六つとして割り振ることで、季節によって時間の長さが異なるというのは現代では考えられないことですが、ほとんど照明と言うものがないも同然だった江戸時代では太陽の光をフルに活用する不定時法の方が効率的だったようです。
ただし、これは現代で一人だけ採用すると言っても無理な話ですが、簡易的に時計に時刻を貼り付ける和時計もどきを作ってみると言う体験です。
また、旧暦というものも農業で成り立っていた江戸時代であればもっとも効率的な暦であり、何の根拠もない1月1日を元旦としている太陽暦は農業とは合致しないのは当然です。したがって旧暦を「農歴」とも呼ぶそうです。
ただし、旧暦は太陰暦そのものではなく太陽太陰暦というもので、1年の長さを合わせるために閏月を頻繁に入れざるを得ず、そのために暦の作成と言うものが非常に複雑になっていたようで、できた暦を見なければはっきりしないということがあったそうです。

火打石で火をつけるということは、私でも実際の経験はありませんがそのような道具が田舎の古い家に残っていたのを見たような幼児の記憶もあります。火打石だけでは火は起きず、火打ち金という金属と打ち合わせて火花を作りそれを大きくしていくということで、慣れてくれば30秒以内にできるとか。しかし相当大変なのは昔も同じでなるべくしないように囲炉裏の灰の中に火種を残しておくというのが一般的だった様です。
石川さんは慣れていたものの、田中さんはこれには難航したようです。

火を使った照明でも現在でも少しは覚えのあるような蝋燭の明かりと言うものは、江戸時代にはごく限られたところで使われるだけでほとんどが行灯だけだったようですが、蝋燭と比べても非常に暗いものでほとんど手元だけが明るくなる程度のものだったようです。
しかし、田中さんの発見として浮世絵や版本を行灯の光で見てみると、電灯の下で見たのとはまったく異なる感覚で見られ、これこそが浮世絵の美しさだと言うことが判ったそうです。実際に田中さんは以前にも浮世絵コレクターの人から浮世絵を鑑賞するときは行灯のもとで見るべきだと忠告されていたそうですが、その意味が初めてわかったそうで、明るすぎると光って薄っぺらに見えるところが絵に奥行きを感じてみることができるそうです。これは絵師の個性にもよるそうで、豊国はあまり変わらないものの歌麿は暗い中で見ると本当の世界に引き込まれたような感覚を受けたとか。
また和服の色合というものも暗い光の中のほうがくっきりと映えて見られ、特に木綿の縞が美しく見えたそうです。そういう風に作られていたと言うことでしょう。

さて、木製品についても取り上げられていて、その中で石川さんが述べているところは他の本でも触れられていますが、「木製品を使うとその分だけ樹木が減るような気がするが、樹木はまた生えてくる。手入れの行き届いている人工林では適当な木材の需要があった方が林業が盛んになって良質の木が増える。逆説的に言うなら 使えば樹木が増えるのだ」と書かれています。
この点はおそらく確信を持って語られている点であると思いますが、私が違和感を持つ点でもあります。
これが成り立ったのは江戸時代の日本という非常に限られた条件の下でだけの話であり、ほとんど普遍性はないものです。ほとんどのこれまでの文明では森林を伐採し尽くしてしまい、最後には文明自体が衰微すると言うことがかえって普通のことでした。日本のような高温多湿で植物の生育に好適な環境であり、しかも熱帯雨林のように人間の生活を妨害するほどではないと言う条件下でのみ当てはまったことでしょう。しかも日本でも江戸時代は徐々に森林が衰微していく傾向が強かったようであり、あのままの江戸時代というものが外国の干渉無しに続いていたらおそらく日本でも森林枯渇に至ったのではないかと思います。
森林の再生分だけで成り立っていく文明と言うものは非常に小さい範囲だけのものではないかと思います。

著者の石川さんは最後に、金融バブルははじけたが、エネルギーバブルはこれから破綻すると書いています。これは私も繰り返し述べていることであり、まったく同感です。化石エネルギーはいずれは枯渇しますし、他のエネルギー源はなくなりはしないものの現在のエネルギー依存社会を支えるだけの量の確保はできないでしょう。それで江戸時代に戻ると言うわけではないでしょうが、その暮らし方を参考にして新しい文化を築かなければならないでしょう。破滅しなければですが。