爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「大江戸ボランティア事情」石川英輔、田中優子著

このところ連続して著書を読んでいる石川英輔さんが、江戸文化研究家で法政大学教授の田中優子さんと共同で書かれたのが本書で、江戸時代の政治や行政などの活動の大部分は「ボランティア」のような形で行われていたということを扱っています。なお、共著と言っても詳しい編集打ち合わせをしたということではなく、同じテーマを別々の原稿で書いて並べていったもので、最後には対談をしたものの執筆当時はたまに電話をする程度で直接会って話をすることもなかったと言うことです。

江戸時代は封建的な政治形態で、武士が圧制をしていたというイメージがありますが、江戸の町奉行を見ても人数は少なくそのような隅々まで見張るような行政は不可能だったと言うことです。
ならばどのように治めていたかというと実は町人の中から町役人、町名主、そして多くの大家と言われる人々が、それもほとんど俸給も貰わずボランティアの状態で町の運営に当たっていたそうです。
これは江戸の町ばかりではなく地方の農村部でも同様で、実際は農村の自治組織の方が強固だったとも言えるようです。

現在の社会は国や政府がやるべきことをやるのは当然と言う感覚で、どうしても行き届かないことを人々がやるのがボランティアというイメージですが、江戸時代には金のやり取りなしに上手く動く共同社会というものが存在していたと言う主張です。
江戸時代の政府というものは、細かいところまで統制しようと言うような体制でもなく、その能力も無かった。たびたび「贅沢禁止令」のようなお触れを出したために圧制であったというような理解をされがちですが、お触れを出したところで守らせるということもほとんど不可能だったようです。

今から振り返ると職業としてやっていたように見える、「寺子屋のお師匠さん」や「火消し」も実はほとんど収入も無くボランティア状態だったそうです。生徒や親に尊敬されることだけを求めて教えたり、火事場でヒーローとなるとうことだけを目的に命を張るという、まったく職業ではなかったということです。

石川さんは江戸文化と言っても江戸の町の事情に集中していますが、田中先生は地方の事情も研究されているようでこの本では農村部の事情の説明も担当されています。
現在では地方では市町村の行政が政治を担当していますがその能力は低下し、まともな行政ができないところもあるようです。しかし、江戸時代には武士の代官などというものが居たとしてもほとんどの行政は農民の自治組織でやっていたというのが実情だったようで、それが明治以降崩されてしまったことが地方の行政能力低下につながっているそうです。

江戸文化というものも、その多くは本業を引退した「隠居」という人々が発展させたようです。これには家業(武士・町人を問わず)というものは当主が担当するので、息子が成人したらすぐに受け渡しあとは自由に生きていくということを人生の目標としていたということもあるようで、若い場合は30代、普通でも40代で隠居してしまう例が多かったようです。それからが当人の自由な生き方で、俳句や落語、その他江戸時代に栄えた文化の数々は隠居がそれこそボランティアで進めたものだったようです。
なお、全国の地図を作った伊能忠敬も正にその通りで、隠居してから天文の勉強を始め、地図の作成も最初はまったく自費で始めていったということです。

現代では定年退職というと人生の終わりというようなイメージで捉える人が多いかも知れませんが、隠居後の生活を楽しみにしていたかのような江戸時代とどちらが幸せといえるかと問うています。
自分自身の現在の境遇と重ね合わせると非常に意味深いものを感じました。