爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「武田信玄と勝頼 文書にみる戦国大名の実像」鴨川達夫著

古文書という昔の文書は学術的価値もさることながら、高価で取引される骨董品的価値もあり、一般の興味も惹くようです。
著者は東京大学史料編纂所助教授ということで、そのような史料の専門家ということもあり、このような一般向けの解説書を書き表しました。
武田信玄と勝頼は戦国大名として人気も高く、そのために文書も多く残っていますが偽物も相当あるようです。また本物であっても内容によっては宛先を切り取ったり、中身の一部を削ったりということもあったようで(先祖の名誉を守ろうとして)その判定は非常に難しいもののようです。

古文書を見ていくとき、注意しなければならない点は非常に多く、用紙(紙質、形式)から誰が誰に宛てたか(署名、宛名)そして印鑑として使われた花押、朱印、内容について言えば日付、(書いた日付はあったとしても、年を書くことはあまり無かった)といった各所を、その他の文書とも見比べながら疑問を晴らしていく必要があるそうです。

形式という面では、紙をどのように使うかというところで一枚丸ごと使うか、半分に切るか、折り返すかということが時代と相手により使い分けがあったそうです。また、印も自分で花押を書く場合、やや堅苦しい龍の朱印を押す場合、「晴信」という朱印を押すというラフな場合とすべて使い分けをしているようです。花押を書くべきときに朱印を押さざるを得なかった場合に、その言い訳をくどくど書いていることもあるようで、気を使っていることが分かります。

文書の真偽を見分けるということは非常に難しい場合も多いようで、偽物を作ろうとしてやった場合だけでなく、自家のために本物の文書(土地の領有を認めた朱印状など)をきちんと写して保存するということも頻繁にされていたために、その文書内容は本物と全く同じであるのはもちろんのため、真偽は分からない場合も多いとか。

手紙の場合など、相手方と自分とで分かりきっていることはくどくどとは書かないために判定が難しいものもあり、敬語の付け方で辛うじて判定できることもあるとか、出馬と出陣も使い分けがあり、出馬は殿様、出陣は配下といこともあるようです。
「当地」といっても書いた信玄の居た場所とは必ずしも言えないようで、当時の文章の書き方というものに慣れていないと勘違いもあり、それで信玄の軍の所在を間違えるということが結構専門の研究者の場合にもあるそうです。

当時の大名などは自筆の手紙というものはほとんど書かずに祐筆という書記の人が書くことがほとんどだったようですが、結構自筆の手紙というものも残っており、極秘事項などは祐筆にも知らせずに書くということもあったということが良く分かるそうです。信玄の場合はそのときはちゃんと自筆で書く理由というものも手紙の最初に断り書きをしてあり、周到な性格が見て取れるということです。

勝頼も家内をまとめられず武田家を滅ぼしたバカ殿という見方をされがちですが、残された文書を見るとなかなかの殿様だったようで、まあその時にはすでに信長との力量差が圧倒的で挽回不可能だったのでしょう。信長は信玄とは一時は味方となっていたにも関わらず、三河侵攻を受けたのが非常に衝撃的であり、そのために敵愾心を強くしたようです。勢力が大差となった時に武田を滅ぼすという信長の意図は強く、もはや誰がやっても止められなかったとか。

戦国時代も後期からは現存する文書は多く、それで歴史の判断はかなり進むのでしょうが、詳しい考察は非常に難しいもののようです。お宝で高く売れるかどうかというのはまあどうでもいいことでしょう。