爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「”三国志”の迷宮 儒教への反抗 有徳の仮面」山口久和著

三国志といえば中国の歴史の中では日本で最も人気の高いところで、小説は言うに及ばず漫画やゲームに至るまで数多くの出版物が溢れている時代の話ですが、そのイメージと言うのはほとんど三国志演義に基づくもののようです。
それがどの程度史実を表しているのか、この事情を中国史専門家の著者がいろいろと解説を加えています。

曹操といえば悪人というのが普通のイメージですが、一方文学的な素養もある教養人という面があるということもよく知られているところです。
このような矛盾した人物像を理解するために必要なのが、「名教の罪人」と言う見方だそうです。名教というのは儒教的な規範ということですが、漢代の国を挙げての儒教化といったものが崩れたところから三国時代が始まるためにそれを収めていった曹操も名教というものを一旦は崩したと言うことになるようです。
劉備は有徳者という像で語られますが、よく考えるまでも無くそこから逸脱した面が随所に見られ、また任侠としての性格も色濃く、偽善者と言う面もあることが否定できません。
蜀の劉璋に迎えられたもののそれを討ち国を奪ってしまいます。その後宴会を開き楽しんだので軍師の龐統から苦言を呈されると怒って下がらせるということもありました。

天下三分の計というものも孔明劉備に説いてその策をとらせたということになっていますが、これもそれ以前から普通に存在した策であり、何人もの論客が違う時代に説いていたようです。
さらに、それを目指し蜀を領有した劉備ですが、荊州がそれを保持する重要な地であるにも関わらず関羽がそれを守ることに失敗したために苦境に立たされそれが蜀の衰退にもつながりました。
蜀は豊かであったということになっていますが、実は物資が不足しており孔明の南征と呼ばれる軍事行動もその物資の確保のために南方が必要だったためだそうです。

孔明といえば三顧の礼劉備に請われて陣営に参加したということになっていますが、これも歴史上他にも類例があることで、事実であるかどうかもわかりません。また孔明が本当に最初から輔弼の臣として処遇されていたということも疑問が多いようで、劉備が生きている間はそれほど重用していたとも言えないようです。
また、劉備臨終の時に孔明に後を託したというのは事実のようですが、実際は同様のことを蜀の元からの臣の中でも有力者であった李厳にも言っているようです。つまり、蜀の元からの豪族の有力者と劉備配下の新参者の二人に同様に息子のことを頼むということで、次代の政権を安定させようとする劉備の狙いがあったようです。しかし、これが功を奏して孔明が全力で蜀を支えるという原動力にはなったようです。

いろいろ三国志にまつわる話を聞いても納得しがたいことが多かったのですが、かなりそれをすっきりと解決してくれた本だったと言えます。