爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「世界の食料ムダ捨て事情」トリストラム・スチュアート著

イギリスのジャーナリストの著者が、世界各国の食料の廃棄という問題についてかなり深い取材の実施を通して問題点を提起しています。

日本の食料のムダというものはひどいものという認識があり、マスコミ論調でもそのように言われることが多いのですが、本書によればイギリスやアメリカの状況はそれとは比較にならないほどひどいようです。
廃棄食料の正確な統計というものは無く、また数字のまとめ方も各国でかなり違うために比較も難しいようなのですが、供給熱量が国民に必要な熱量の何%にあたるか(それから100%を引くと廃棄分になります)を試算すると、アメリカでは200%になるそうです。(実に半分は捨てている)
イギリス、フランス、イタリア、カナダなどは170−190%、オランダ、ニュージーランドなどで160−170%、オーストラリア、スウェーデンで150−160%、日本で150%以下ということです。
日本はマシな方ではと思いますが、実は日本では外れている廃棄物量もあるためにもう少し高い率になるようです。

著者はイギリスで「フリーガニズム」を実践していたそうです。これはサッカー場で暴れる「フーリガン」とは違い、スーパーなどで捨てられる食品をゴミ箱から拾い集めて食べるという活動のことを言うそうですが、ホームレスの人々以外にもこのような活動をすることで食料の廃棄と言うムダを告発する人たちが居るそうです。

食料の廃棄という点では、家庭でのムダというものも相当量に上りますが、実際に政府などからもそのムダを減らせというキャンペーンが為されることも多いそうです。しかし、実際には莫大な廃棄物を出しているのは、スーパーなどの小売店、食品産業、農業の現場、漁業の現場などで、そちらの現状は比べ物にならないほどだそうです。
ただし、このような産業は廃棄の実情について公表したがらない傾向が強く、また少々の取り組みだけを大々的に宣伝に使うこともあり正確な判断が難しいものだそうです。

大量の廃棄物を出すと言う要因は日本で言われているものとほとんど変わらないようで、農産物では異常なほどの規格の厳しさ、不要なまでの品質保持期限の短縮設定といった問題が挙げられます。
そして、そのような理由で廃棄したものを貧困者に回すといった活動にも消極的な業者が多く、衛生的に心配といった口実をつけますが実はそれで売れ行きが落ちることを怖れるものも多いようです。

農産物の規格の厳しさで出荷できないものを廃棄するということは、ヨーロッパでも非常に多いということで、収穫の1/3を廃棄している農家もあるそうですが、それを安価でも別業者に出荷ということは契約上難しくなっているために仕方なくそのまま農地に埋めるということになるとか。

また、漁業現場でのムダもひどいもので、これは混穫で目的外の魚種を揚げてしまいそのまま海へ捨てるといった例や、漁獲中に損傷したために捨てる、また漁獲量の規制値を超えたために捨てるなどという例が多いそうで、捨てないにしても魚粉などにして肥料として用いるものまで含めると実際に人間の食料として口に入るのは全漁獲量の10%以下ではないかと言う計算もあるそうです。

また、途上国での食料生産では保管施設の不備などで多くが腐ったりカビたりして廃棄されるために、十分な設備があれば飢餓に陥らずに済むものが食糧不足になってしまうという事例が多いそうです。食糧倉庫に水が入ってしまったりして腐るとか、また農産物が傷まないように補完するプラスチック容器が十分にあるだけでも相当な食糧が傷まずに済むのですが。

西欧各国の食料廃棄の状況は上記の通りですが、これらの国でももちろん以前はそのようではなかったのは言うまでもないことです。イギリスにおいても1930年代には家庭での食品廃棄率はわずか2−3%だったそうです。
1976年でもまだ4−6%、アメリカの1960年代の調査でも約7%だったということです。その後急速に悪化するとともに、食品産業や小売業の状況がひどいことになってしまいました。

このような廃棄食品の多くは埋め立てにされることが多かったのですが、それを避けるとしてメタンガス発酵で燃料を得るとか、堆肥として活用すると言う方向の技術開発が進んでいます。しかし、著者によればそのような策は良策とは言えず、せめて家畜肥料にしてそれに用いられる穀類を削減するべきであるということです。もっと良いのは当然ながらすべて人が食べるようにして供給量をできるだけ削減することが必要ということです。

日本でも無駄な食品廃棄は膨大なものです。食料の供給に不安が出れば意識も変わってくるのでしょうが、それ以前にきちんと対処できるようになりたいものです。