爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「健康不安社会を生きる」飯島裕一編著

信濃毎日新聞社で医療関係の報道を担当され編集委員になっているという著者が健康問題についての各分野の専門家と対談しまとめたというものです。
健康論そのものについて、また健康情報の問題点、そして健康づくりというものについてのものまで、合計10人の方々が登場しており、高橋久仁子さんや左巻健男さんなど有名人も含まれています。

平均寿命がこれまでにないほど延び健康寿命も決して短いとはいえないにもかかわらず健康不安というものを抱えている人は多数に上るようです。正常か異常か、正常でなければ健康でないのかといった認識が一人歩きしている状況なのかもしれません。
少しでも異常というものがあれば健康ではないかのような意識があり、際限のない検査と治療が続きます。
社会の基準というものも個人に健康づくりというものを押し付けるばかりになっているようです。
国の施策として「健康増進法」というものまで作っているのは、医療費増大に対する抑制の意味があるのですが、そこには「国民の責務」として健康であることを強いていますが、そう言いながら健康に害を与えている社会環境、労働環境を整備するという視点は全くなく、個人の責任ばかりを挙げているようです。
これは戦時中に兵士や労働者として国の役に立つように健康増進といっていた時代と変わりがないようです。
「健康権」という考え方もあり、世界保健機構では早い段階から取り上げられていますが、日本では人権問題に国家に積極的な行動を促す「社会権」に関しては政府の取り組みが極めて遅く、健康権への態度も消極的なようです。

健康情報について、群馬大教授の高橋久仁子さんは早い時期から提言を繰り返していますが、ほとんどブレーキもかからず怪しい情報があふれています。現在では「健康ビジネス」というものにさらに力が入っており、日本を代表するような大企業でもそれに参入しています。国を挙げて推進の「トクホ」も過大視するような傾向は問題と主張しています。

国学院大学野村一夫教授は「健康言説」という言葉をあげて注意を呼びかけています。健康に関しては言葉が先に流布してそれに左右されるということも多いようです。
健康言説には「近代医学の模倣」「伝統回帰と減算主義」「レトロな道徳主義の押し付け」「身体アイデンティティーの救済」といったものが挙げられるということで、これらの拡散にはメディアの関与も強くなっているということです。

メタボという問題でも、その意図は医療費の削減につなげようということなんでしょうが、その疑問の多い基準はかえって再検査、治療のための通院を増やし現時点では確実に医療費を増やしているという指摘もありました。

広い範囲を扱っているために現状の入門編としては良いのでしょうが、深く知るためにはやはり登場した専門家の著書などを読んでいく必要があるのでしょう。