爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

行ったことのある都道府県 東京都

東京には「住んだ」「通った」ことがあります。
住んだのは小学生の頃、父が定年間際となり最後に東京勤務となって福岡から引っ越してきました。しかし、以前から定年後に家を建てるつもりで神奈川県に宅地を購入していたために、東京に引っ越すとすぐに建築準備に入り、社宅にいたのは1年ちょっとだけでした。
社宅のあったのは、三鷹市三鷹駅から西南に少し歩いたところで小さな家でした。
小学校はすぐそばにあった学校ではなく、そこのそばを行き過ぎてしばらく歩いたところの第七小学校でした。学区割のせいでそのようになっているということでした。
学校まで通う道の脇には畑も残っており、東京とは思えないような場所でした。冬には霜柱が大きく伸びていて非常に寒く感じました。福岡の小学校ではストーブなどはなかったのですが、三鷹の小学校には石炭ストーブがあり、当番で石炭運びなどもさせられました。

東京に「通った」のは、大学入試に落ちて1年通った予備校と、首尾よく翌年合格して通った大学4年間です。
その頃は神奈川県茅ヶ崎に住んでいたので、時間はかなりかかりましたが、下宿をするには東京は費用がかかり過ぎ、親に頼むわけにも行きませんでした。それに通学時間がかかるといっても2時間ばかり、下宿でも30分以上はかかるだろうし、帰ってから自炊や洗濯をしていたらかえって大変という思惑もありました。
予備校の最寄り駅の四谷界隈ではほとんど遊ぶことも無く、通学で通り過ぎるだけで印象も薄いのですが、大学入学後の通過駅の渋谷、東京、御茶ノ水駅周辺はあちこちと歩き回りました。渋谷の駅の井之頭線側の裏の方にあるパチンコ屋に入って、初めてパチンコと言うものを経験しました。今とは違ってパチパチと手で弾くようなもので、暇つぶしにはちょうど良いものでした。
大学卒業後、クラス会などで渋谷待ち合わせということになった時に、あまりに少年少女が多くなっていたのには驚きました。学生時代にはそこまで子供向けではなかったのにいつの間にか変わってしまったようです。
渋谷には3年前に親戚の結婚式があり久し振りに出かけました。東口の前に高いビルが開業してすぐの時で、これも変わり様に驚きました。さらに変化は続くようです。

その後、仕事などではたびたび訪れることもあるのですが、どうも人ごみには身体がついていけなくなり疲れるばかりです。昔は雑踏の中をすいすいと歩いたものですが。

東京にはいろいろ心に残る風景もあるのですが、大学の銀杏並木を一番にしておきます。秋に実が落ちると臭かった。