爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「”現代デフレ”の経済学」斎藤精一郎著

経済学の本というものはあまり読まないのですが、それでも特におかしいと思った時などは買って読んだこともありました。
それらの本も捨てることも無く取ってありますのでまた再読すると言うこともあるのですが、時代が移り変わると社会の情勢も変わってしまい、偉い経済学者さんが書いたこともまったく外れということもあるようで、それもまた面白いものです。
本書は1998年の出版、今とはかなり状況が異なる中での記述ですのでその時代差というところだけが興味の対象になる程度のものかもしれません。

今では多くの人が日本経済はデフレであるということは当然のこととして受け止めており、だからこそ政府が「デフレ脱却」と唱えることも抵抗無く感じられるのでしょうが、かつては「デフレ」と言う言葉が意識して使われていなかった時もありました。その当時は、本書中にも記載されているように、「ディスインフレ」なんていう言葉が使われていたりしていました。ほとんど忘れかけていた言葉ですが、この本で読んでみてその当時の雰囲気がよみがえる思いです。
そのような時代に、「これは現代版のデフレである」と主張したのがこの本です。デフレと言うことをなかなか認めたがらなかった政府、経済界等にこの言葉を突きつけたかのようなものです。

そんなわけで、本書の多くはデフレと言うものがどういうものか、またその時の状況がなぜデフレなのかと言うこのと記述に割かれており、今となってはもはや常識に近いものになっているので読み返すとくどいと感じる面もありますが、これは当時の社会を考えれば無理ないところなんでしょう。

デフレと言うと当時は第2次大戦の前の昭和初期の「古典デフレ」を指すと言うのが暗黙の了解であり、1990年代後半はまだそのような状況ではないので「デフレではない」という言い方も成り立っていたということのようです。しかし、社会への表れ方の違いと言うものはあっても、現象としてみれば間違いなくデフレであるというのが著者の主張です。それが結局は正しかったということでしょうか。
そのような「平成デフレ」は昭和デフレと比べるとかなりソフトな表れ方をしているということですが、その要因としては昭和初期と比べると、政府の介入力が強く、経済界の競争力も強いこと、そして家計の貯蓄量がはるかに多いために抵抗力が強いためだそうです。

また、1994年の経済白書で、「ディスインフレ」という言葉が使われたということも、官庁の認識の甘さを示すものでありその対応の誤りの原因の一つとして考えられるということです。もう20年も前の話になるのでしょうか。少し懐かしい響きの言葉となってしまいました。

著者は最近もご活躍のようです。まさかここまでデフレが続くとも思っていらっしゃらなかったのではないのでしょうか。