爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「ラテン語の世界 ローマが残した無限の遺産」小林標著

著者の小林標(こばやし・こずえ)さんはラテン語専攻の研究者ですが、本書はラテン語に関してその言語学的特徴から、歴史、文学、さらに現在の状況まで非常に広い範囲についてある程度の深さで記述されており、一般教養としてラテン語について知るという目的には十分すぎるほどの内容と思います。

数年前に退職するまでの在職期間中の結構長い時間にわたって、微生物関連の仕事をしていたのですがその中でも特に「分類・同定」ということに関わっていました。このような生物の学名というものは「ラテン語として扱う」というのが微生物命名規約に定められており、ほんの初歩ですが本などを読んで調べたこともありましたので、その時に本書を読むことができたとしたら相当理解も容易だったのにと思います。
なお、微生物学者でも一般の応用関係の人々はそのような規約に関する知識は「どんな偉い先生でも」ほとんど持ち合わせておらず、たぶん今でも同じでしょうが無茶苦茶な名前を新種としてつけた微生物などを発表したりしていましたが、それも懐かしい思い出です。

さて、本書はラテン語の影響が現代にも大きく残っているということを英語などの言葉をあげて説明するところから始められています。長らくヨーロッパの古典、そして学術関係などの基本言語として大きな勢力を残したラテン語ですので、現在の言葉にもそのまま使われているものが多くなっています。日本の皇太子の結婚を報道する日本のメディアは「ロイヤルウェディング」という言葉を使いますが、海外メディアは決してその言葉は使わず「インペリアルウェディング」と呼びます。この「ロイヤル」も「インペリアル」もどちらもラテン語起源の言葉であるということです。

ラテン語は大きくいえばインドヨーロッパ語族の言葉のなかでもイタリック語派と呼ばれるもので、ロマンス諸語というフランス語やイタリア語、スペイン語などの元となった言葉です。英語ドイツ語などのゲルマン祖語から生まれた言葉や、スラブ祖語から生まれたロシア語などとはかなり古い時代に分かれたもののようです。

ラテン語を習得するのは難しいという感覚が一般的ですが、実はラテン語の文法というものは非常に論理的にできており、ほとんどが規則的な変化をしており不規則変化というものがほとんどないと言う特徴があるそうです。単語の語形が変化をするのですが、それが皆同じ原則で変化していくので、その原則さえ理解していればほとんどすべての単語が理解できるとか。こういった特徴はフランス語などには少しは残っていますが、英語にはほとんどありません。英語で不規則変化や例外的用法といったものを個別に覚えなければいけないというのと比較すればはるかに習得は容易であるということのようです。
こういったラテン語の特徴は「屈折語」であるということで表されます。言語の形状は屈折語膠着語孤立語抱合語の4種があり、日本語は膠着語、中国語は孤立語になるようです。
ラテン語はこのように名詞、動詞、形容詞のいずれも語形が変化するので、語順はどうでも理解できるというのも特徴の一つです。

ラテン語の勢力が拡大したというのは、もちろんラテン語の構造が優れていたからというわけではなく、ローマ民族が当時の世界を統一するばかりの勢力拡大を成し遂げたからなのですが、その過程でギリシア語の影響を強く受けます。これは単語の意味の輸入という性格が強かったようです。
それとともに、新たな意味を言葉として構築しやすくなるような構造にもなったということです。例えば英語のリサイクルという言葉は、ラテン語の「リ」にギリシア語の「サイクル」がつけられ現代の意味のリサイクルとして使用されるように作ることができたのですが、例えば日本語にはそのような構造は全く無く、日本語の歴史とは使えなくなった言葉はどんどんと捨てて新しい言葉を外から持ってきて取り替えるだけのものといえます。
ラテン語は言語資源の再利用性が高く、これからもどんな用途にも使えるような言葉を生み出せる可能性があり、日本語の性格とは正反対だそうです。

ラテン語と文学というものを見ると、日本の状況とは異なることが判ります。日本では自然発生的に万葉集に収められているような歌謡が庶民にも普及しそれを文字に書き留める形で始まったといえます。またギリシア文学ではそのような素地が不明な中で突然にホメロスの文学が出現しそれに支配される経過をたどります。ラテン文学の場合はそれらとは異なり、ローマには最初から文学の専門家というものが居たような展開であるそうです。それはホメロスとも異なり、まず文字というものが先にあったという状況がそうさせたということです。
なお、ローマ時代には女性作家というものがまったく出なかったと言うのも特徴で、多数の女性が文学を発表したギリシアともまったく異なる点です。もちろん日本とも大きく違いがあります。

ラテン文学の黄金時代と言われるのは紀元前後の頃で3人の偉大な作家が出現します。ウェルギリウスホラティウス、オイディウスですが、その直前に2人の散文作家が居たというのも重用です。キケロカエサルです。キケロ(これを原語とほぼ同様の「キケロ」と読めるのは日本人くらいで、英仏では「シセロ」イタリアでは「チチェロ」としか読めないそうですが)はギリシア語に完全に通じておりそれをラテン語に運用するという方向性を確立したという点で大きな影響を与えているそうです。また、カエサルは政治家としての活躍が大きいのですが、ガリア戦記という偉大な戦記文学を残しており、その簡潔な文体がその後も理想形として残ったのでした。

ラテン語由来の言葉というものは英語を通して日本にも多数入ってきており、どれがそれかというのも馬鹿らしいほどですが、著者が気になるのは「ネイティブの外国人」という言葉だそうです。英語国民は「Native speaker of English」の略形として使うことに違和感がないようですが、ラテン語のnativusからフランス語を経由して英語にnativeとして入ったもので、「生まれつきの」という意味でしかありません。あまりにも略しすぎということでしょうか。

日本人がラテン語と触れ合ったのは戦国時代末期の宣教師来訪の時からだそうです。そして、宣教師が残した報告などから当時の日本語というものも判ったということもあるようです。日本語の表記では「歴史的仮名遣い」というものがあり、蝶(ちょう)を「てふ」と書くということは知られていますが、実は元来は「てふ」と発音したものが、その発音はだんだんと変わってきても表記だけは変わらずに残ってしまったものです。したがって、「てふ」を「ちょー」と読む時代もあり、「てふ」と読んだ時代もあり、その中間の時代もあったですが、戦国時代の宣教師の記録によりその時代の発音というものも少しはわかるようです。それによれば、蝶は「ちょー」今日は「けう」と読んでいたようです。いずれにせよ、平安時代の文書でも「てふ」は無神経に「ちょー」と読むのはおかしいということです。
ラテン語でもそのような発音の変遷というのは起きており、それが文法の変化と相俟ってフランス語などのロマンス語群への変化につながったようです。

ラテン語はさらにキリスト教との関係、また科学用語との関係もあり、現代ヨーロッパ諸語にまで大きな影響を与えるようになりました。これは今後も続いていくことのようです。ラテン語というものをきちんと知っておくことはこれからの言語というものを考えていく上でも重要なことなのかも知れません。