爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「文字答問」白川静著

漢字についての大きな業績を上げられた白川静さんがいろいろと随想を書かれた「桂東雑記」にさまざまな人からの質問に答えるコーナーという形で書かれた答問をまとめて一冊にされたものです。

桂東雑記は2003年から2009年まで出版されたものということで、これら質問もその前後に寄せられたものかと思いますが、もちろん取捨はされているのは当然でしょうがなかなかポイントを捉えた内容があるものだと思います。
それに答える白川さんは専門の甲骨文字の解析を、漢代の「説文解字」と対比させながら、いかに説文解字の執筆時には甲骨文字の記憶が失われてしまっており、漢字解釈も誤解だらけになってしまっていたかが分かるようになっています。

質問の一つに「井と丼とはもと同じ字なのでしょうか」というものがあります。これが同じように使われる場合があるということも知りませんでしたので、びっくりしましたが実際にそのように使われることもあるようです。
これに対する白川さんの答は、実は井の字はもとは刑罰の刑という意味であり、丼がもともと井戸の意味であったということです。
井とは、首につける首かせの形からできたもので、後にこれに刀を加えたのが刑という字になったとか。丼のほうが井桁から来ており井戸の意味があったということです。

犬の字に点がついているのはなぜかという質問もありました。この点については白川さんは現在の国語行政に対して非常に不満を持っており、延々とその事情を書かれています。
犬の字の点は犬の耳を表すということです。この点で、「大」という字とは大きく異なります。大とは人が大きく手を広げているということです。
犬は動物の中で最も早く家畜化されたということですが、特に漢字を生んだ中国古代の殷(商)王朝ではその意味が非常に大きいものでした。犬は神聖視されるとともにその嗅覚が強いことから悪霊などに対する力を持つという意味が持たされ、何かあることに生贄とされたり、その血を祓いとして使われたということがありました。そのために、「犬」という字はそれに関連する意味を持つものとして他の漢字の多くに取り入れられていたということです。

しかし、戦後の国語改革で漢字の字体の変更ということがなされ、犬の字体の部分を意味もなく大に変えられるという愚挙がなされたということです。その結果、漢字の意味がまったく曲げられてしまいました。
たとえば、「類」という字ですが、これも左下の大となっている部分は元々は犬のはずでした。犬の生贄をささげて天を祭る祭儀が類だったということです。現在の類の意味もそこから転じて来ているのですが、これも大になってはたどれなくなります。

臭という字も犬が嗅覚に優れているところから、鼻(自)と犬(大)が合わさって一字となったものです。これが大になっては何の意味のつながりもありません。なお嗅覚の嗅の字には犬の部分が残っています。これにも漢字改革のいい加減さが現れています

白川博士は漢字辞書三部を著していますが、まだそれを拝見していません。一度読んでみるべきかと思います。