爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「江戸人と歩く東海道五十三次」石川英輔著

江戸時代の社会風俗について詳しい著者ですが、この本では東海道を中心とする当時の旅行・交通の事情について解説されています。
江戸時代の旅行の印象というと一般人には水戸黄門のテレビドラマなどのイメージが強いかもしれません。ほとんど徒歩旅行で、たまに馬が荷物を運んでいたり、山にかかると山賊が出てきたり、宿場に来たら宿屋に泊まるといったところかと思います。
詳しく見ると当たっているところも、そうでないところもあるようです。

江戸時代に一般の旅行者も数多かったということは、世界的に見ても珍しいほどだったようです。訪れた外国人の書き残した記録にもヨーロッパでは考えられないほどの旅行者が行き来していると書かれています。
しかもそれが他国と異なり護衛を多く連れなければ危ないと言うこともなく、女性でも旅行できたと言う非常に安全なものであったようです。
また、伊勢神社へのおかげ参りのように、ほとんど金を持たないままの乞食旅行のようなものも見られたというのは現在から見ると不思議なものに見えます。

日本の道路が舗装されていなかったというのは、第2次大戦後の占領軍も強く抱いたイメージのようで、コンクリートアスファルトはもとより、石畳というものも発達しなかったのですが、これは未開であったということではなく、あまりにも暑いと言う日本の気候のために土のままにしておかなければ照り返しで危険だったからというのが著者の意見です。そのためもあり、日本では車(馬車等)も発達しませんでした。荷車というものも町内の輸送だけに限られ、長距離の輸送はほとんどが船によるしかなかったということです。
結局、ほとんどの旅行は徒歩、それ以外は駕籠か馬に直接乗るだけということになりました。駕籠や馬は費用が高く通常利用できるようなものではなかったようです。
馬も騎乗して走るという習慣はほとんど発達しませんでした。蹄鉄というものもなく馬にも草鞋を履かせて歩くだけだったようです。したがって乗って走るということは無くあくまでも歩かせて荷物を運ぶというものでした。

宿場の旅籠というのも江戸時代も末期になると相当発達していたようです。これには旅行者が多かったと言うこともあり、また「浪花講」というものがあり、大阪の商人が中心となりきちんとしたサービスができるということを保証するような活動をして、その看板が出ている旅籠なら安心して泊まれるというような体制も整備されたということです。今の「JTB協定旅館」といったものがすでに発達していたと言うことです。

庶民の旅行記というものも多く残されていますが、その中の一つの宮崎出身の山伏の野田泉光院という人の書いたものを著者が見出し、その傑作ぶりに衝撃を受けたということです。また、金森敦子さんという方が書いた「”きよの”さんと歩く江戸600里」という本があるそうですが、その中では豪商の奥さんの三井清野という人が書き残した旅行記というものの紹介がされており、それまでの類型化した旅行記とは異なり、ひたすらグルメや買い物三昧を書き連ねた豪快さがこれも傑作ということです。

関所破りというと、映画などで見ると無法者が抜き身の刀を振り回しながらのようなイメージですが、結構ふつうの話だったそうです。大したものでなく関所前の旅籠で聞くとすぐにこちらと教えてくれるようなものだったとか。結局、箱根の関所などというものも江戸時代後期には形だけのものとなり大名に対する牽制だけの役目しかなかったようです。
また、越すに越されぬ大井川というのは、橋も渡し舟もなく人の肩か蓮台だけで渡っていたのですが、これは西国大名の叛乱を恐れその侵攻を食い止めるためと教科書にも書かれていますが、実は幕府が渡し舟を設置することを提案したこともあったそうです。しかし、当時の大井川両岸には1000人弱の人足が居り、またそこで旅程を滞らせることで両岸の宿場の宿泊者数も多くなるということで、幕府提案の渡し舟には反対意見が続出しつぶれたとか。そのために、他のほとんどの川には渡し舟がありどこも簡単に渡ることができていたようです。

本書後半は実際の東海道五十三次の各宿場の紹介もされています。この距離を通常15日程度で歩ききったそうです。速い人で1日40kmを歩き12日で到着したとか。
現在、各地でウォーキングラリーといった催しがあり、熊本の当地でも開催され私も参加していますが、40kmコースというものもありますが、普通の人にはまったく不可能な距離です。それを連日続けていくというのは怖ろしい体力です。しかし、少しでも歩く経験を増やしておかなければいけないのかもしれません。