爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「千年震災 繰り返す地震と津波の歴史に学ぶ」都司嘉宣著

著者の都司嘉宣(つじ よしのぶ)さんは長らく東京大学地震研究所で研究されており、専門は津波ということなので震災の折にはテレビにも出演されていたようです。現場主義というものを貫いてきたということで、可能な限り地震災害の現場には直後に入って調査をされているということですが、今回の東日本大震災では捜索活動も続いているということでなかなか現地に入ることができなかったようです。
また、本書の経歴にも触れられているように、古文書の研究にも力を入れておられ、「古文書の解読ができる唯一の地震学者」ということです。本書は主に古文書で表れている過去の地震災害の記録を解説されています。

それにしても、日本には繰り返し地震が襲ってきていること、あらためて激しいものだと思います。
それとともに、古くは奈良平安の時代にも記録の片鱗が残っていますが、室町・江戸時代以降は非常に詳しい地震災害の記録と言うものがあり、日本人の先人の記録と言うものに対する執念のようなものも感じます。

津波と言うものは同じところを襲う場合でも一つ一つが異なる面を見せるということです。著者でも東日本大震災津波がこれほど大きくなるという予想はできなかったということです。平地を襲う津波では高さが低くても大きな被害を出すと言うことがあるのですが、今回もそのような例が見られました。通常は浜に近づいた津波は高さを増していくのですが、九十九里浜のような広い浜に押し寄せると高さはそれほど上がらないものの非常に速い流速のまま陸地に襲い掛かる「射流」というものが起こるそうです。これは数十センチの高さでも十分に人が死亡するようなことになり得るということで、波の高さだけで危険性を判断はできないと言うことです。

また、著者が津波被災地を視察した際、あまりにも簡単に堤防が崩れている例が見られたそうです。手抜きとも言えるようなもので、上に積み上げて高さだけは高くしてもその接合が弱いために津波の勢いで簡単に崩れてしまっていたと言うことですが、著者が四国などを視察した際にもそのような堤防を目にしたと言うことで、東南海地震が起こった場合の津波被害が心配されるそうです。

そして幕末の安政年間(1854−1860)には連続して大地震が襲ってきます。まず、安政元年11月4日に安政東海地震、翌日に安政南海地震、どちらもM8.4が起こります。さらに翌年江戸を直下型地震が襲います。いずれも多くの死者を出したと言うことです。さらに近畿地方内陸部でも伊賀上野直下型地震が起こり関西地方も被害を出しています。
この時代になると地方にも日記などを書く人も多かったために相当数の地震についての記録が残っており、その被害だけでなく液状化現象などの様子も詳しく書かれているものが多いそうです。またそれらの被害の場所と大きさを調べることで地震の震度や震源地の推定ということもできるそうで、時代により当然ながら建物の強度は変わってきますがそこまで考慮することで震度はかなり精密に分布を推定できるそうです。
こういった地震では震度が最大7、5から6といった地域は広い範囲にあったようです。

南海地震では津波の被害も大きいものでした。それも紀伊半島や四国ばかりでなく大阪湾にも侵入し大阪の町にも被害を出したそうです。今でも大阪湾は防備が弱いのではないでしょうか。

比較的近い時代の文書が残っている範囲内だけでもこのような大きな地震が繰り返し起こり、大津波が襲ったと言うのが日本列島なんでしょう。簡単に忘れることはできないと思います。