爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「幻影からの脱出 原発危機と東大話法を越えて」安富歩著

”東大話法”とは著者の安富さんが前著の”原発危機と東大話法”という本で言い出した言葉のようで、原発事故のあと担当者の話し方を聞いてそれに共通する特徴が見出せるとしてこのように名づけたと言うことです。
著者は現在は東大の東洋文化研究所教授ということですが、出身は京都大で名古屋大などを経て東大に来たと言うことですので、このような話し方をする人が特に東大や出身者に多いようだと言うことでこう呼んだと言うことですが、もちろん東大とそのような話法というものが関係あるはずも無く、あくまでも本に対する関心を集めようと言う策略丸出しの命名に見えます。

それでもその点にこだわらなければ、本書に語られていることは非常に類型化が進みすぎて本当かどうか怪しむところがありそうですが、分かりやすく現代に至る歴史を著述しているように見えます。

福島第1原発の事故に関しては様々な情報が飛び交い、また担当者の話なるものも色々なものが発信されてきました。これらが事実を隠しながら出されるものであったり、事実を知らないまま語らざるを得なかったりと右往左往した感覚ですが、多くが東大出身者、関係者であったということもあるのかも知れません。しかし、だからと言って「東大話法」などと決め付けるのも、いくら本書中に「こういう言葉の使い方をする人は東大以外にも多く、東大でもそうでない人も多い」と断りを言ったとしても注目集めのためと考えて差し支えないでしょう。ちょっと品のない行為かと思います。

1,2章はそのような原発と”東大話法”についての記述なのですが、3章は打って変わって戦後の日本の社会変革と政治について思い切った類型化で説明を試みており、なかなか面白いものになっています。
55年体制というものは、自民党の成立から続いた政治体制で、自民党社会党が(なれあって)続けてきたものと考えられ、自民党の一党支配終焉まで続いたと思われていますが、著者によれば実は田中角栄が政権を取った時点で55年体制は終わっていたのだと言うことです。
それは、実はその体制というものは「体制派」と「非体制派」を上手く取り込んだもので、だからこそ戦後日本の復興をうまく進められたというものだそうです。非体制派というのはいわゆる「反体制派」とは異なり、55年体制の「体制」には入れなかったものを指します。体制派とは大企業の経営者と労働者を含むために、実は55年体制の体制派には労働組合も入っているということです。
そして「非体制派」とは、農林水産業従事者、中小企業経営者・従業員など、一般的にいって「田舎」の人々を指すようです。これらの人々は55年体制の政府からは政策としては何の恩恵も受けられませんでした。しかし、公共事業の優先配分と言う形で利益を供与され、それに対して自民党に投票すると言う形の相互供恵を行うことで体制維持をされてきたということです。
しかし、田中角栄という非体制派の中心のような人物が出たことにより公共事業の地方へのさらなる投資ということを求めて田中派というものができ、政権奪取まで行ってしまいました。そこで、中国との国交復興や地方への公共事業拡大という動きを強めましたが、これがアメリカと体制派の反発を呼びロッキード事件につながったということです。
それからも田中派とそれに続く人々に対する体制派の反撃は厳しく、多くの田中派要人の疑惑摘出と言う形で終わってしまっているようです。最後の大物の小沢一郎もこの一連の動きで理解できます。

小泉政権田中派に対する反動として出てきたもので、靖国参拝で中国とは断絶し、公共事業抑制で地方に対する金の動きを抑え、さらに規制緩和という形で都会に住む非体制派(低学歴層)の切り捨ても行ってしまいました。
小泉は「自民党をぶっ壊す」と言っていましたが、実はそれは自民党の中でも田中派的な要素を壊すだけのものであり、旧来からの自民党体制派のためにされていたものだと言うことです。

民主党政権になり鳩山・小沢と言う体制で田中主義の進展を図ったものの、これも体制派の総攻撃を受け破綻させられ、その後を継いだ者は民主党とはいえ実態は体制派そのものの野田であり、それがそのまま現政権につながっているようです。

原発というものは自民党体制派が導入したものですが、これでは田中派も十分に恩恵を受けてきました。柏崎刈羽田中角栄の地元そのもので、多大な恩恵が転がり込むようにできていたそうです。しかし、それが続かなくなってしまったのも田中主義の終焉と関連してくるようです。

第4章は「世界が発狂している」という刺激的なタイトルですが、第1次大戦から発狂の程度がひどくなってしまったということです。ドイツに終戦をもちかけ降伏させたあとのベルサイユ条約では、その降伏条件であった緩い対応を完全に反故にして厳しい賠償を取ると言う欺瞞的なものとなり、それに反発したドイツがナチス化して第2次大戦に進んでしまいました。
さらに、第1次大戦で始まった非戦闘員に対する攻撃は第2次大戦ではさらに激化し、日本に対する無差別爆撃、原爆投下につながりました。
日本でも「靖国精神」と称して国のために喜んで死ねるという教育がなされました。それまでの日本には死者を祭る神社というものはあってもそれは死者の祟りを和らげるためのものであり、決して「国のために死んだ人を祭る」などと言うものではなかったのです。これも狂った世界の表れのようです。

このような状況からの脱出口というものはどういうものなのか、最後に書かれていますが、その部分はやや分かりにくい印象です。まあ難しいということなのでしょう。