爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「漢字がつくった東アジア」石川九楊著

書名から受けた印象で、漢字についての考察かと思ったのですが、実は本書は漢字の書体というところから東アジア全体の文明の発展を考えるという歴史観の文書でした。

著者は書家であり、古代からの漢字や仮名、ハングルやチェーノムの書というものを研究されてきてそこから歴史の発展というところに思索を進めていったということです。
漢字というものは紀元前1300年ころに中国の殷(商)の時代に成立しましたがそれは卜占の結果を留めるためのいわば宗教文字でした。
それが秦の始皇帝により篆書が始められ人間の社会を表す文字として発達を始めたということです。
350年頃になり王羲之により草書が完成されました。王羲之は書家としては非常に有名ですが、著者は書としては確立したという功績は大きいものの書の個性というものはまだ生まれてきていないと見ています。
その後、650年頃に唐が起こると同時期に漢字の書体では楷書が確立します。これも楷書が先にありそこから草書が生まれたと解釈されていることが多いようですが、実は逆だということです。

唐が滅亡する900年代には日本では仮名が確立しています。これが実は文明としての独立であって、それまでは日本というものは中国の辺境に過ぎなかったというのが著者の解釈のようです。
時期は多少ずれますが、朝鮮や南越でも同様の動きがあり、中国からの独立ということがそれぞれの違いは鮮明にありながらも起きて行きました。

書体というところから見ると、唐代にはあまり個性というものが見られなかったのが次の宋の時代にはいろいろな表情が盛り込まれるようになっていくそうです。さらに明の時代にはそういった個性が激しく描かれるようになっていきます。

周辺地域でどのような動きがあったかというと、日本では縄文文化というものを過大に見る風潮がありますが実際は縄文時代の文化というものは次にはつながらず弥生文化というのは大多数を占める渡来人が作ったという見方です。そこには大陸からのさまざまな人々が混ざり合いましたが、漢字というものは共通のものとして存在していたようです。それが平安時代になり仮名を作り出していったところから独立した文化を作るようになった。それは白村江で破れ唐からの影響を受けられなくなったということもあったのかもしれません。
朝鮮ではそれよりもはるかに強い中国の影響のなかで支配層や男性はほとんど漢字を用いる文化というものが続きますが、民衆にはハングルを使うということが始まります。しかし、ハングルというのは日本の仮名とは違い表音文字ではなく「漢字単位」をそのまま写した文字だということです。したがって漢語を表記するのが本来の性格であり今のように漢字を使わなくなった状態ではその性格が運用の難しさを生んでいるというのが著者の意見です。
また難しい問題というのは現代の南北朝鮮の対立というのが現代政治の関係にあるだけではなく、元来あった南北の差というものが影を落としているということもあるようで、新羅渤海の並立というものも今から見ると同様の状況だったのかもしれません。

日本の仮名、朝鮮のハングル、越南のチェーナムという漢字周辺の文字を見ていくと似たような性格もある一方、非常に異なる点も多いようです。日本の仮名は音節単位の表音文字で一字一音表記です。したがって、「雨水」という言葉を仮名で書くと「うすい」と三字で書きます。
それに対し、ハングルは子音と母音が別々になっている音素表音文字ということですが、基本的には一音節単位で表記します。これは「漢字の単位」で書くということです。つまり、漢字を文字の基準とした音書きの文字だということです。
ベトナムのチェーナムはそれ以上に漢字と同じ表記法であり、一語単位で一字というものです。日本で言えば国字(峠や裃など)と同じものでできているということです。

日本では本居宣長などが麗しい古代の倭ということを言い出してそれが現実であったかのようなイメージをもたれていますが、著者はそうではなかったという見解です。「やまと」なるものは「漢(から)」と組になって生み出されたもので、せいぜい900年頃に成立したものに過ぎないと言うことです。
漢というものに対抗して生み出された和というものが、あたかも昔からあったかのように作られた幻想だということです。

そのような考え方というものを補強するものとして著者が取り上げたのが沖縄の「たまおどんのひもん」という石碑です。1501年に作られたというものですが、そこに書かれている書体は日本流の平仮名です。琉球では中国に冊封された尚王が日本にも従うという二重体制だったのですが、文化的には完全に日本の影響下だったということです。

なお、昨今の「日本語の乱れ」について、よく言われているのがコンビ二などで「1000円からお預かりします」の「から」がおかしいなどという例が挙げられますが、確かに間違った使い方をされています。しかし、こういった間違いというのはあくまでも「助詞」の部分だけであり、実際は中国語ではこの部分は無く日本語などの特殊事例なのかもしれません。それよりも大きな日本語の乱れの問題としては、「漢字」の方、つまり使える語彙が激減していることの方ではないかと言うことです。
助詞の「繋ぎ」のところばかり正確にしたところで、見栄えだけは良くても内容の乏しい日本語の文が広まるだけではないかという危惧があるようです。