爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

エネルギー文明論「環境倫理学に触れて」

ごく最近、”環境倫理学とはなにか”という本を読んだことは読書記録にも書きましたが、そこに展開されているものはこのエネルギー文明論でも書いてきた内容と非常に似たものでした。
ただし、その重点を置いている点で見ると若干の違いはあるようです。
環境倫理というものの進展と言うことはまだほとんど調べていませんので詳しくはありませんが、やはり1950年代から60年代にかけて環境汚染が激しさを増してきたことが一つの要因になっているようです。

大気や水質の汚染は先進国では一息ついているような印象もありますが、決して無くなっているわけではなくまた途上国での激しい汚染も先進国の肩代わりという意味合いもあるようです。
また、原子力廃棄物の放射線汚染や二酸化炭素の増加ということもそのような環境汚染の一つと考えるべきなのかもしれず、そうなれば地球全体としてますます環境汚染は進行しているということでしょう。

環境倫理学においては、自然と言うものの見方ということが西欧では問題になるようですがこれは日本では見方が異なるかもしれません。
また、地球全体を考えていかざるを得ないということは当然ながら各国、各個人の自由を相当制限せざるを得ずそれも問題なのでしょう。

世代間の倫理というのが一番心をとらえられたところです。今の世代の都合だけで後の事も考えずに行っていることがいかにのちの世代の負担になるか、環境に関することだけに限らず、日本では国債の過剰発行や年金問題等々、先を全く考えない施策が横行しています。それをおかしいとも思わない政治家、それに投票する民衆がほとんどです。

倫理というのはキリスト教世界では神との関係とのかかわりが大きく、なかなかそれ以外の宗教の人の理解とは異なることもあり普遍化が難しいのかもしれません。日本人の果たす役割も大きいように思いますが、その日本が最大の環境汚染を起こしたと言うことは忘れてはいけないようです。

エネルギーの欠乏と言う問題は環境問題とは異なるようにも思いますが、すべてのエネルギーは必ず環境と係わっていますので分けて議論をすることは不適当かもしれません。どちらを見ても問題の緊急性は増すばかりのようです。