爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「環境倫理学のすすめ」加藤尚武著

これは何重もの意味で非常にショッキングな本でした。

環境倫理学自体、名前からのイメージしか持っていなかったのでほとんどこれまでは関係した文書を読んだこともなかったのですが、本書の最初に環境倫理学の主要な構成成分として3つの要素が挙げられているのを見て最初の衝撃です。1.自然の生存権、2.世代間倫理、3.地球全体主義なのですが、2.世代間倫理というのは最近ここの「エネルギー文明論」でも書いているように、私が自分で無い頭を振り絞って考えた内容と非常に似たものでした。
まあ不勉強と言えばその通りですが、まさかこのようなところに同じ事を考えている人々がいたとは思いませんでした。
第二の衝撃は、「まあ同じ考えもあるのは仕方がないか」と思い、「それでも最近の著作ならいいか」と思って本書の出版年を見たらなんと平成3年と20年以上も前の本でした。

さらに、良く考えてみるとそれだけ前の本でありながら他への波及がほとんど見られないということが最大の衝撃です。すなわち、本書のような世代間倫理というのは私から見ると極めて当然でありこれに基づいた行動が必須であると感じられ、それを「エネルギー文明論」という形でここで主張しているのですが、それはほとんどの人には受け入れられていないということでもあります。
本書は丸善ライブラリーの新書版であり、たまたま手にとって読んだものですが、これまでに行きつけの市立図書館(田舎の図書館で蔵書数も貧弱ということはありますが)の環境やエネルギーの書棚でこれに類した本というものは全く見たこともありませんでした。やはり一般には理解しがたい主張なんでしょうか。

世代間倫理への思考の過程というものも、環境主体である環境倫理学とは異なり、私自身の思考ではエネルギー源についての思索から出発しているということでやや違いはありそうですが、結論はほとんど一緒です。さらに、さすがに専門の倫理学者の著作だけあって非常に洗練された文章で綴られていますので説得力は私の文章などとは比べ物にならないほど強いものです。
歴史上最大のエゴイズムは、南米のインディオの大量殺戮や中国でのアヘン戦争であるということが言われていますが、著者はそれよりも現世代での化石エネルギー使い果たしと言う方がひどいものだと強調しています。
有限な資源を未来の世代と取り合うようなことをしてはならない。エネルギーは太陽エネルギーだけを使い、化石エネルギーには手を付けてはいけない。という主張は私自身の考えとまったく一致しています。

倫理学の上ではこれまでに深く議論されてきたであろうことですが、「個人主義」と「自由主義」の原則というものがあります。「他人に迷惑をかけなければ何をしても良い」ということですが、実際は「他人に迷惑」というのは何にでもつきまとってくるものであり、「他人に迷惑をかけない」行動などと言うものはないのかもしれません。個人主義自由主義というものは本当は消滅させるべきなのかもしれないという考え方自体、目からうろこです。

人口・食糧・エネルギーという問題に関していえば、これに発展などというものはもはや在り得ずいずれは定常状態に戻す必要がありますが、そこに至るまでの過程でどれだけ平和的に移行できるかが問題であるというのも非常に共感できる主張です。私自身の思索でもここが最大の問題点であり、どうしても戦争や飢餓といった状況が不可避と考えてきました。著者は使用できるエネルギーの上限を定めそれに向かって社会全体の構造を変換していくという必要性を説いています。それはそうなんでしょうが、困難でしょう。

ごみ問題というのは現代の環境問題では大きな困難になっています。実は二酸化炭素というのも「ごみ」の一種なのかもしれません。排出してどうしようもないものになっているゴミをどうするか、これはゴミ処理の技術的な問題というよりは人類の歴史が作り上げてきた自然観が行き詰っているというのが著者の見解です。
実は原始のアニミズムではゴミを出すと自然が怒るといった考え方もあったはずですが、アニミズムからの脱却を果たしたと考えられる現代社会ではかえって自然を大事にするという考え方を失ってしまいました。それがゴミ問題の最大の要因のようです。
ユダヤキリスト教に代表されるそのような思想に対し、日本ではアニミズムの思考がかなり残っているはずでした。それにも係わらず日本のゴミというのは世界一の量になってしまっているのはなぜかというのが倫理学の大きな課題のようです。

ミルはすでに19世紀に「地球が自由な個性の発達を不可能にするほど満員になる以前に人口と産業規模の縮小をして発展の停止状態を作り出せ」と言っているそうです。このような主張が納得され受け入れられるまでにはどのような悲劇が起こらなければならないかと思うと暗然となります。

最終章で、著者は「地球生態系の許容限度のなかで、人口・食糧・エネルギー消費をコントロールしていかなければならない」と説いています。これが環境問題の帰結なのですが、それを困難にしているのは「成長というわずか200年に満たない生活習慣に浸り過ぎたからである」と喝破しています。まさにその通り。

「まさにその通り」の連続のような本書ですが、倫理学というのは非常に術語の難しい学問のようで読むのはかなり厳しいものでした。一般向けの解説ができるかどうかということにかかってくるのかもしれません。