現在の仏教と言うもののイメージは寺での法要などの際に見ることができるものから得られますが、供養にあたっての儀式、位牌を祀り、そこには戒名が記されており、数珠を手に焼香をして合掌する、といったものです。
しかし、このような仏教儀礼はもともとのインドで生まれたブッダの頃の仏教には存在しませんでした。
それがどこで生まれて今につながっているのか、調べてみても明らかではないことが多いようです。
そのような歴史について、寺院僧侶でありながら大正大学で長く研究し教授を勤められた著者が平易に解説しています。
先祖の供養というものが現在の仏教では重要な要素となっていますが、実は仏教の基本的な教えでは先祖を祀るという考え方はありませんでした。
しかし、インドから中国に伝えられた仏教は中国の古来の風習に影響され、先祖供養と言うものが重大視されるようになったようです。
位牌と言うものもインドにはありませんでした。中国古代には仏教とは関係なく「木主」「神主」といったものがあり、周の武王が殷を討伐する時には亡き父の文王の「木主」を車に乗せて出かけたという記述があります。
しかし、現在のような戒名・法名を位牌に記し祀るということは、中国での実例が見当たらないそうです。そもそも中国でも仏教は鎮護国家の役割を持たされており、個人の供養のためと言うことはあまり顧みられていなかったようです。
ようやく禅宗の発達とともに僧侶の亡くなったあとに位牌を作るということが現れたようです。
焼香ということも日本では仏教の葬儀の際に行われるものですが、中国では仏教に限られたものではなく道教でも行われるようです。
日本で焼香と言うものが行われるのがいつ始まったかと言うことは明確ではなく、ほとんど記録もないようです。
織田信長が父の葬儀の際に焼香をせずに香を投げつけたという場面は時代劇でも有名な場面ですが、これも明確な記録はないようで、その当時に焼香と言う風習が本当にあったのかどうかも分かっていません。
どうやら現在の仏教儀礼というものはそれほど古くない時代に成立したもののようです。平安時代、鎌倉時代など、実際にどのような儀礼が行われていたのか、分からないことの方が多いようです。