今回は別姓を認めないことは合憲という判断になりました。
この奥にあるものは単純な男女間の関係性についての問題点だけではありません。
現状については、私は次のように考えます。
「結婚にあたりほとんどの夫婦が男性の姓にそろえざるを得ない状態は極めて男女不平等に当たる。しかし、この解決策として夫婦別姓を認めたところで根本的解決にはならない」というものです。
それはなぜでしょう。
実は人の名前として「氏(家の名前)と名(個人の名前)」を組み合わせて使うという方法、二名法(これは法的な用語ではありません。仮に使っているだけです)を用いることに問題の根源があるからです。
日本でもこのような二名法が昔から変わらずに使われていたわけではありません。せいぜい明治以来のことです。
江戸時代には氏を(公式に)仕えたのはほとんど武士だけに限られていました。それ以外の庶民も私的には氏を持っていたという説もありますが、公表はできませんでした。
また、武士の場合は逆に二つの名だけでなくほかにも色々な名を名乗っていました。
大久保彦左衛門忠教(おおくぼひこざえもんただたか)は大久保が家名、彦左衛門は通称、忠教は実名です。
現代でも世界各国が二名法であるわけではなく、ヨーロッパ各国でもばらばらです。さらにアジアアフリカまで見れば千差万別とも言える状況で、さらに二名法に見えるところでも日本の「氏」に当たるものが家の名前だけというわけではありません。
父称といって父親の名をそのまま家名の代わりに用いる文化圏もあります。
アラビアなどは父の名、祖父の名、その前の名とずらずたと並べます。
さらに、結婚した場合の氏をどうするかと言う対応も世界各国さまざまです。アメリカなどは夫婦そろえるのが基本ですが、中国では夫婦別姓が昔からの伝統です。ただし、例外を認めないということはなく、その点は日本の民法は融通が利かないのは確かでしょう。
さて、それでは何が一番問題かを取り上げましょう。
なぜ、個人を呼ぶのに家の名を使うのが普通になっているのか。ということです。
夫婦別姓を求める(ほとんどの場合は女性の)意見は、子供のころから呼ばれて慣れている名を変えなければいけないのは耐えられないというものです。
ほとんどの人の社会体験は学校から始まります。学校では生徒たちが「氏名」により管理され、その名称で呼ばれます。それも通常は「氏」だけで呼ばれます。
時々「名」(個人名)で呼びかける教師もいますがそれも公的な状況では「氏」を使うでしょう。
それが、小学校に始まり、中、高、大と続き、会社に就職すればほとんど「名」を呼ばれることは無く「氏」だけで呼ばれます。そういった事態が20年以上、人によっては30年以上も続けばそれに慣れきってしまうのも仕方のないことかもしれません。
しかし、それはちょっと変じゃないですか。
家の名をつかって呼びかけられたとしても、その子供は家を代表して学校に来ているわけではありません。家に対しては何の権限もないにも関わらず、家の名で呼ばれているわけであり、それは家の名称というものの「誤用」です。
江戸時代以前の社会状況を考えましょう。家の名で呼ばれるのは家長だけでした。「徳川殿」と呼ばれるのは家長の家康、「織田殿」は信長だけであり、それぞれ徳川家、織田家の運命を決める権限を持ったものだけだったでしょう。
徳川の娘は公的には「徳川家の姫様」と呼ばれたはずです。決して「徳川さん」とは呼ばれていないでしょう。
つまり、この人名に関する混乱は「個人を呼ぶのに家名を用いているから」生じているのです。
この混乱を収めるのは決して「夫婦別姓を認める」ことではなく「個人は個人名で呼ぶ」ことしか解決策はないでしょう。
なお、とはいっても現在の個人名は非常に偏っており同年代は同じような名前が多いということになり重なってしまうという問題点があります。それはそれで解消しなければならないのですが、しょせん一つの個人名では限りがあります。
一人一人を完全に認識するにはマイナンバーで呼びかけるしかないのでしょうが、それも無理でしょう。
ここは「二名法」を止め、「三名」または「四名」に移行すればどうでしょう。そして、家名で呼びかけることは止め、それ以外の2つまたは3つの名で呼びかければ、問題解消に向かうでしょう。
たとえば、ミドルネームを定め、徳川家康であればファットマンをミドルネームとして、徳川・ファットマン・家康を正式名称として登録し、通称はファットマン家康と呼ぶこととすれば良いのでは。
徳川ファットマン家康が、今川スリムガール瀬名姫と結婚して、スリムガール瀬名姫が戸籍上徳川スリムガール瀬名姫となったところで、誰も徳川さんとは呼ばなければ問題は起きませんね。
まあ最後の方は少しやり過ぎの例でしたが、とにかく「家名」を使って呼びかけるという風習を無くすことがこの問題の解消策として必要なことでしょう。
夫婦別姓をめぐるドタバタ劇は何が問題かということを判断できないことから起きています。それが皆理解できるようになれば解決に向かうのですが。