爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「<世界史>の哲学 中世編」大澤真幸著

「世界史」の方に惹かれて選んだ本でしたが、「哲学」の色合いが非常に濃いものでした。したがってその読み方も難しく結局理解できなかった部分も多いまま残ってしまいました。

 

著者の大澤さんは社会学博士ということですが、哲学の方向に進まれたようです。

 

実は本書の最終章にある「利子と言う謎」という章題に惹かれたのですが、その他も中世ヨーロッパというものの特殊性を取り上げたものでした。

中世ヨーロッパを特徴づけるキリスト教の中でもカトリックというものは、その他の宗教、またキリスト教の中でもギリシャ正教会などとはまったく異なる特性があったようです。

三位一体という、神と精霊とイエスは一体の物であるという教義はカトリックに特徴的なものであり、東方教会では神と精霊は一体であってもイエスキリストは別という解釈ですし、イスラム教ではムハンマドは最高の預言者であっても神そのものとはまったく異なるものとされています。

イエスキリストも神と一体であるという教義は、普通に考えても矛盾をはらむものですし、そのあたりがイスラム教からカトリックを批判するポイントにもなっていたそうですが、カトリックの中にその解釈を必要とする理由があったということです。

 

カニバリズム(食人肉)は絶対のタブーとして世界のほとんどすべてで否定されていますが、カトリックにはこれにほとんど重なるような教えがあります。イエスはパンとワインを示してこれが自分の肉と血であると言って弟子に食べさせました。

ここにつながるように、中世ヨーロッパでは聖人の身体の一部を崇拝するという信仰が広がりました。

これらは「食」というものがいかに「他者」を感受するということとつながっているかを示しているということですが、ちょっと難しすぎるところです。

 

最後に、「利子と言う謎」ですが、キリスト教に限らず古代では利子と言うものを否定することが多かったようです。ギリシアでもそうですし、イスラム教は現代でもそうです。

しかし、キリスト教では中世までは利子を否定していたものの、中世後期になって完全に受容するようになってしまいました。

これには中世ヨーロッパのカトリックが生み出した「煉獄」という思想が関わっているそうです。

元々は天国か地獄か二つに一つしかなかったものが、中間的でその後の救済の可能性もある「煉獄」というものを作り出し、そこに利子で儲けた商人が落ちたとしてもその後救済されて天国に登ることができるようにしたということです。

 

その後、利子は許容されるばかりか、正当な報酬と見なされるようになり、現代資本主義につながることになりました。

 

知っているようで本当のところはあまり分かっていないのが中世ヨーロッパというものかもしれません。