爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「多文明世界の構図」高谷好一著

著者の高谷さんは京都大学生態学を専攻した東南アジア研究者です。

本書冒頭にあるように、近代は終焉を迎えようとしており、その後の社会すなわちポストモダン社会はグローバルなものではなく地域ごとに独立したものであろうという予測を立てておられるようです。

そのような単位ごとの「世界」はそれぞれどういったものになるかという描写を中心としたものです。

 

本書刊行は1997年ですので現在ほどはグローバル化も進展していないところです。しかし、その時点でグローバル化の近代というものが早晩終わりを告げるという見通しを立てていたというのは素晴らしいのですが、その詳細は解説されていません。そこが知りたいのですが。

ともかく、グローバル化は進めば進むほどその崩壊にも近づくということで納得して本書内容に進みましょう。

 

世界中を一つにしようというグローバリゼーションというものは、普遍論理という思想のものに発達しています。これは唯一の絶対論理ではなく様々な思想の中の一つに過ぎないのですが、経済至上主義の名のもとに全世界に及んでいます。

これを突き進めていけば地球全体の崩壊にもつながる危険性を孕んでいます。

普遍論理は近代のイギリスで生まれ世界中に広がりました。これの理論的基礎にはダーウィンの進化論も寄与しています。その生存競争と優者進歩という法則は経済至上で世界制覇という帝国主義者に利するものでした。

そして究極の優勝劣敗の行きつく先は世界の破滅であろうというものです。

 

その先にあるのは世界の各地域に昔から存在していた「世界単位」です。今の小さな国々の境界と言うものではなく、もう少し大きな文化の様式を同じくする地域の集合のようです。

 

そのような世界単位というものにはいくつかの様相があります。

生態適応型の世界単位というものはジャワ世界や東南アジア山地世界といった、古代から続く孤立したままでも成立している自給自足世界です。こういった世界は地球上あちこちに存在しているようです。

 

ネットワーク型世界単位というものは、海と砂漠・草原地帯にできた世界単位で、交易を基本とするものですが、その途中には人の居住地はなく所々に港・オアシスが点在するものを結んだ世界です。

 

最後に大文明型世界単位というものです。これは世界に2つだけで、「中華世界」と「インド世界」であるということです。この2つは高密度の人口が広範囲に広がるものです。この世界を統一しているものは一つのイデオロギーであり、中華世界では儒教、インド世界ではヒンドゥー教です。

 

こういった世界単位が過度の干渉なく並立していくというのがポストモダンの世界のイメージなのでしょうか。

そううまく行くものかとも思いますが。