火付け盗賊改として活躍した長谷川平蔵を主人公とした池波正太郎の「鬼平犯科帳」は多くのファンを持ち、またテレビシリーズや映画にもなって大好評でした。
作者の池波さんが亡くなった後にも以前にましてファンを増やしているようですが、改めて文筆家で江戸時代の歴史考証にも詳しい本書著者が長谷川平蔵の時代の実際の歴史についてあれこれと書いた本です。
したがって、平蔵自身の事績というよりは周辺の人々の動きなどの記述が多くなっています。
平蔵の実像を詳しく伝える資料と言うものは、18世紀後半に書かれた水野為永の日誌「よしの草」というものだけだそうです。
水野は田安家で田安定信のブレーンとして仕え、定信が老中となってからも情報収集を担当していたそうで、そのためにその日誌も秘蔵とされていたそうです。
本書はその日誌を元に書かれています。
平蔵の生まれや家族については小説とほぼ違いはないようですが、幕府での職をめぐっての争いは激しいもので、平蔵も田沼意次にうまく取り入って昇進したということもあったようです。
また小説にはまったく現れませんが、松平左金吾という旗本がポストを狙う平蔵の最大のライバルであったようで、何かと争ったようです。
周囲のライバルたちからは平蔵は盗賊を次々と捕まえてお仕置にするのを自慢しているようだと批判されていたとか。そのような見方もあるのでしょう。
また、世評では「左金吾は学が自慢、平蔵は捕り物の神様」と言われていたそうです。この辺は犯科帳のイメージと近いのかもしれません。
無宿人対策として人足寄場を設けたというのは実際の平蔵の功績ということです。
こういった施策の方が重要だったのかもしれません。
まあ、それでも小説が楽しければそれで良いとも言えますが。