爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

行ったことのある都道府県 熊本県

行ったことのある都道府県シリーズも最後となりました。

そしてこの熊本県は現住所でもあります。

 

熊本に最初に来たのは九州各県と同様に子供のころに福岡に住んでいたとき、親に連れられて観光に訪れた時です。

何度か来た覚えがありますが、熊本市内観光と阿蘇山に行ったのは印象にあります。

阿蘇では火口まで登ったものの非常に怖がりの子供だったので縁まで行って中を覗くということができずに一人だけ避難小屋に残っていたような記憶があります。とはいえ、調べてみると死者12人を出した大噴火が昭和33年に起きており旅行をしたのは昭和37・8年のはずなので決して安全とも言えなかったのかもしれません。

 

それから十数年を経て会社に就職して初任地が熊本県でした。首都圏の研究所勤務を希望していたのでショックでした。親元を離れるというのも初めてのことで不安ばかりでした。

それでも東京で新人研修を一週間、それから寝台特急はやぶさ」で一晩かけて八代駅に到着したのはもう昼前でした。

当時の八代駅は隣の製紙会社のにおいも激しく、また今でも一緒ですが駅前はほとんど大きな建物もなく、こんな田舎町かと思って心が沈んでしまいました。

 

独身寮生活で食事が口に合わず、また結構身体を使う仕事ばかりで、すっかりやせてしまいました。学生時代は少々太り気味のぽっちゃり体形だったのですが、まあまともな身体にようやくなることができたという方が正確だったのでしょう。

また現在とは違い若い人たちも多く、それほど仕事も忙しくはなかったので、退社後にテニスをしたり、またいろいろ遊ぶ機会を作ったりで、すぐに生活にも慣れ気楽に過ごせるようになりました。

 

その頃はまだ皆が車に乗っているわけでもなく、自分も原付バイクを買ったのみで車には手が届かなかったのですが、会社の友人たちの車であちこちに出かけることもありました。県内かなり広い範囲に足を伸ばした覚えがあります。

また、天気の良い休日などは原付で行ける範囲のところに一人で出かけたりしたものです。

そのころ行ったところで印象に強いのは現在は八代市になっていますが当時の坂本村の肥後峠付近で、球磨川沿いの国道を離れて山に入っていくと途中に「鮎帰(あゆがえり)」という集落があり、鮎も登れないところかと感心してさらに登りました。

そのうちに山もかなり高いところまでたどり着き、後ろを振り返ると川やダム湖が見えてすばらしい光景でした。

しかし道がほとんど廃道のようなところで、少し前の台風で倒れた木が道をふさいでいたりでそれ以上進むこともできなくなり引き返しました。

あとで知ったのですが、昔は人吉から八代に抜ける重要な街道だったようです。

 

また原付では八代港や干拓地の海岸にもよく出かけ、対岸の天草の山々とその間の湖のような八代海を眺めたものでした。故郷の湘南海岸のような海ではないものの、ちゃんと潮の香りは感じられました。

 

熊本の工場で何年か辛抱すれば首都圏の事業所に転勤できるかもしれないと我慢して勤めていたのですがその状況が数年後にすっかり変わってしまうことになりました。

 

さすがにこの項目は書くことが多すぎるので、「つづく」