爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「すしの歴史を訪ねる」日比野光敏著

寿司の歴史と言うとまず琵琶湖のフナずしのような「なれずし」というのがあり、それが酢の生産販売が盛んになった江戸時代になって早ずしという酢飯を使う現在のものに近いものが現れ、それが今のような握りずし全盛の状況になったというのが普通の理解だったでしょう。

しかし、どうやらそんなに簡単なものではないようです。

 

寿司は非常に身近になったとはいえ、まだハレの日の料理、祭りの料理と言う感覚が残っています。

元来は神饌、神に捧げる料理として寿司を作るという習慣があり、今でも神社で供えるという風習が残っているところもあるようです。

そのような時に作られる寿司というものは、もちろん伝統的な「なれずし」というものであり、長い発酵期間を必要とするようなものです。

このような「なれずし」というものは文献的には奈良時代以前までさかのぼることができ、天平年間の記録にも鮨、または鮓という文字が表れています。

当時の製法は明らかではありませんが、魚と米と塩のみを材料としていたのは判っており、また相当な酸臭がありペースト状の固体(発酵した米)に覆われていたということで、現在のなれずしと同じものであったと推測できます。

 

このような古代のなれずしの残っているのが琵琶湖のフナずしと考えられています。しかし、古代の日本の製法の記録はないものの、中国での製法が残っており、そこでは夏には作らず、魚は切り身にして漬けるなど、現在のフナずし製法とは大きく異なっています。また江戸時代の近江のフナずし製法の記録がありますが、これとも現在の製法は異なるようです。

すなわち、現在のフナずしというものは江戸時代後期にそれまでの製法を大きく改良して確立した製法で作られているということです。

とはいえ、正確には同じではなくても古代の製法を思わせるものを残しているのはこれだけであるのも確かなようです。

 

しかし、室町時代になると文献資料も残っており、そこから読み取れるのは寿司と言う食べ物にこの時代に大きな変革が起こっていたということです。

つまり「ナマナレ」という発酵の浅い寿司が生まれてきたということです。

これは発酵が浅いということだけではなく、古代では「漬けた米は捨てて魚だけ食べた」のに対し、「米も食べるようになった」ということです。

実は古代のなれずしは「魚の保存法」であったのですが、それが嗜好を楽しむためのものに変わってきたということです。

その過程で徐々に製法にも変化が起き、酒や酒粕、麹などを加えて発酵を促進するとともに香りも良くするという方向に動きました。

これは現在でも地方によっては作られているイズシ、カブラずしなどにつながります。

 

そして江戸時代も中期以降に、醸造で作られた酢を使って作る早ずしが発達しました。

これは特に江戸の庶民相手の屋台が舞台だったのですが、その後高級料亭でも作られるようになったということです。

また、その初期は姿ずしという形態が多かったのですが、頭部や尾部が食べにくいということから切り身を使う握りに進化しました。

巻きずしというのもこれと関連した発達をしており、ノリで巻くと言うのは後から発達した方法であり、はじめは紙で巻いたというものもあったそうです。

稲荷ずしというのは起源がよくわからないそうですが、江戸時代後期には記録が残っています。油揚げの中に何か詰めるという料理が発達したのですが、それに酢飯を詰めるということで成立したのでしょう。

 

このような早ずしへの移行でも江戸風の握り以外にも各地で様々な形態が発達しました。大阪の箱ずしと言うものは有名ですが、大阪でもすっかりその勢いはなくなり現在では東京風の握り全盛となってしまっています。

箱ずしはちらし寿司とも関連しており、箱からバラバラに出してしまえばちらしになったということのようです。

 

江戸前の握りずしと言っても昔から現在のような新鮮な魚介を載せるというものではありませんでした。

辛うじて今でも江戸前寿司職人と言われる人が残っていてエビをゆでたり、コハダを酢締めしたりと言う下処理と味付けをしたものを握るというのが昔の形態でした。

それが冷蔵庫と流通の発達でネタの新鮮さだけが寿司屋の身上となってしまいました。

 

現在の世界的な寿司の流行は江戸前握りと手巻きずしなどのものになってしまいましたが、他の伝統的な地方の寿司はどんどん消えて行ってしまっています。特に神社の祭礼で作られていた発酵寿司はほとんど継承する人もなく次々と失われているようです。

握りずしというものは寿司の全体像から見ればごく一部にしかすぎず、他の面が多かったのですが、このままそれだけが残っていくのかもしれません。