爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「食を考える」佐藤洋一郎著

著者は植物遺伝学が専門と言う研究者ですが、農業と環境といった問題や食の未来にも関心を広げ意見を提起しているということです。

 

本書は食に関するあれこれを一般読者に分かりやすい観点から解説しているもので、「食の環境負荷」「今どきの食」「ハイテクと食」「生物多様性と食」という4つのテーマに分けて随想的な内容が書かれています。

特にハイテクと食では著者の研究テーマであった植物の遺伝というところからの遺伝子組み換えに関する話題も取り上げられており、また、生物多様性も植物環境と言う面からも専門分野でしょうか。

 

地中海の魚料理という題の話では、魚の豊富な地中海と言うイメージはかなり違うものだということが語られています。

イタリアやスペインでは魚介料理が有名であるために漁獲も豊富であるような印象を持っていましたが、実は地中海には陸からの栄養分を供給する大河が少なく、生物も少ないそうで、かつて和辻哲郎が書いたように「地中海は死の海と言ってよいほどに生物が少ない」というのが本当のようです。

魚と森の関係というのは最近ではよく語られるようになっていますが、漁獲の多い海というものは必ず陸からの栄養分供給の多い大河と結びついているそうです。「魚付き林」という言葉がありますが、川の流域の環境を整えることが漁獲につながるということなのです。

トルコなどでも魚料理が多いのですが、これも魚の供給元は地中海ではなく黒海からだそうです。漁獲を多くしようとするなら陸上の環境を整えなければならないということでしょう。

 

少し前になりますが、高級料亭で料理が食べ残された時にそれを「使いまわし」たということが事件となり、廃業にまで追い込まれたということがありました。

マスコミなどから総攻撃を受けたのですが、なら食べ残しはどうすれば良いのかというと、せいぜい家畜の飼料にしましょうくらいのことしかありません。

食べることもままならぬ貧困者が居る一方で高級食材を家畜飼料にしてよいのかと言う疑問も湧きます。

問題の基は食べ残しが多くなるほどの料理を出すことの方にありそうです。

これは食事を供するという文化とも関わるので簡単には行かず、より一層その傾向の強い中国でも大問題になりつつあるようですが、残った料理を持ち帰るという動きもあるとか。

 

遺伝子組み換えと植物の関係については上記のとおり著者の専門分野であるので、解説も詳しくなっています。遺伝子組み換えなどとはとんでもない技術というように考える人が多いようですが、実はその現象は自然にも普通に起こっているものを応用しただけであり、生物が世代交代するたびに必ず起こるものです。

それを人為的に起こすだけのことですが偶然にできるだけの自然の遺伝子組み換えとは違い計算されているので効率的ではあるわけです。

ただし、食品として食べた場合に絶対に大丈夫とも言えないのも確かで、可能性としては存在するのが将来の危険であるのも事実でしょう。

 

生物多様性に関する話題には、日本のコメ生産でのコシヒカリ一辺倒も取り上げられています。ブラインドの食味テストを一般人で行ってもコシヒカリが抜群に美味しいという結果は得られず、若干良いといった程度のものだそうです。

にもかかわらず、作付面積はコシヒカリやその子孫の品種ばかりが増えていき他の品種を圧倒していきます。日本人の「魚沼産コシヒカリ」を求めるという行動の基準というのは結局「値段」だけであり、高いものは美味しいはずという感覚だけなのでしょう。

しかし、その結果コシヒカリが必ずしも適さない料理にもそれが浸透してしまい、その処理にてこずることになっています。

寿司飯には粘りが強すぎるものは適さないのですが、コシヒカリにはそれがかなり多いようです。そのためにわざわざ古米を使ったりするという不自然なことをしているのですが、そうではなく寿司飯用に粘りの少ない品種を使えば無理せず美味しいものが食べれるのかもしれません。

他にも、チャーハンやお茶漬け、さらにおはぎなどもコシヒカリ以外の品種の方が美味しいという料理はいくらでもありそうです。そういった一歩進歩した食文化が必要なのかもしれません。

 

食に関する話題と言うものは興味本位のものや味だけを求めるもの、珍しさだけが興味のものなどいろいろですが、きちんとした知識を基にしたものは少なく、この本もその希な例なのかもしれません。