爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「世間のウソ」日垣隆著

多くの問題について数々の著書を書いている日垣さんが世間に溢れているウソを糾弾していますが、残念ながら10年ほど前の本ですのでやや旧聞に属するものになっているのかもしれません。10年たっても相変わらずと言うものが多いのは事実ですが。

「安全性のウソ」の項では当時の大事件であった六本木ヒルズでの自動回転扉での児童死亡事故が挙げられています。しかし、これをそこまで大きく取り上げるのなら毎日数百人が命を落とす交通事故はどうなのかと言うことです。
確かにその回転扉の構造上の問題点は存在しましたが、それを取り上げる以上に大きな問題は数々ありそうです。
その他の場合も「リスクゼロ」というありもしないものを求める姿勢からおかしな報道になる場合がマスコミには多そうです。鳥インフルエンザなどでも最悪の変異をしたら「死者5億人」などと言う報道をしたものもありました。そのような事態は可能性ゼロではないにしてもほとんどありえないものです。そういった「恫喝」報道が相次ぐというのがマスコミの性癖です。
リスクゼロというのは狂気と言うべき議論であり、集団ヒステリー状態に陥らせるのは避けるべきでしょう。

これも当時の事件ですが、(今でもありそうですが) 校内でアダルトビデオを見ていた教師が処分とか、駅の階段で女性のスカートの中を鏡で覗いた大学教授が逮捕といったニュースが流れることがありました。それで彼らは社会的な生命を絶たれることになるのですが、それほどの犯罪かという反省はほとんどないようです。社会的な地位のある人が起こすと極悪非道のように報道されますが、その辺の普通の人ならやっても何の興味も惹かれないことでしょう。

小中学生などによる殺人事件なども相次いでいました。彼らに対して精神鑑定を行うという事態になっていましたが、実は14歳以下の犯罪者は起訴されること自体がないために精神鑑定もまったく意味のないことです。精神鑑定は犯罪者の責任能力の有無を見定めるためのものであり、もともと責任能力のない少年に対してはそこでどのような鑑定結果が出ても何ら関係のないことです。
結局、佐世保の少女は鑑定をしても何の結果もでなかったようです。その間かなりの時間がかかることで、マスコミの関心が薄れ取材が少なくなったのが最大の効果ではないかと著者は述べています。

幼児虐待事件が増えていると言われています。しかしこれもどうやら大きなウソのようです。
報道されることはかなり多くなっています。警視庁がまとめた児童虐待事件の件数は1999年には1件、2000年に4件といったものでした。しかし、実際はそれ以前から多くの虐待は存在していたのは間違いありません。誰の話題にもならなかっただけの話です。
なお、家庭内の問題などはよほどのことが無い限り警察は介入しないようです。これを「民事不介入」と言っていますが、実はこのような原則というものはどこにも存在していないそうです。著者は法務大臣に直接確認して回答を得ています。つまり、民事不介入の原則なるものは完全な幻だったということです。
これは、暴力団による「みかじめ」と家父長の権限による家庭内の裁断を秩序維持のために利用していた昔の警察の方針の継続だったようです。
その呪縛が取れてしまい、それまで同様に「しつけ」をしていたつもりの親が児童虐待で検挙されるという側面があったようです。

本書あとがきにもあるように、世間で常識と思われていることに素朴な疑問を投じるという新書が作れないかと言うことで書いたということです。さらに出来上がった原稿を各分野専門家にチェックをしてもらったとのことです。思い付きで書きなぐるような人もいるだけに、その周到さはさすがと言うべきでしょう。