爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「体にいい食べ物はなぜコロコロと変わるのか」畑中三応子著

身体に良いからと言って人気を集め流行する食べ物というものは、次から次と出ては消えていきます。
こういった物はかなり昔から入れ替わり立ち代わり登場していますが、そういったものについて、料理本編集者で「ファッションフード研究家」と名乗られる畑中さんがかなり詳しく経緯も含め解説されています。
なお、序文にも自ら書かれているように、「科学的・医学的にどれが正しく、どれが間違っているかと言うことを審判するのがこの本の目的ではなく、自分にはその能力もない」と言うことですが、あまりにもひどいものに対しては明記されています。

そもそも身体に良いとか悪いとかを言えるのは十分に食料供給量が足りる場合だけであり、食うや食わずの人にはそのような贅沢な議論はできなかったと考えられますが、明治になり肉食が広まってくると早くも肉食が身体に良いのか悪いのかという議論をする人も出てきたようです。ただし、当時は肉を食べすぎというほど食べられた人はほとんど居なかったはずです。
白米の過食からくる脚気というものは間違いなく体に悪い食べ方だったわけですので、それについての議論は当然健康に直結するものだったのですが、それ以外にも怪しい説も頻発していたようです。
酸性食品アルカリ性食品などといったものも1970年代には出てきており、ようやく肉がふんだんに食卓に並ぶようになったと思ったらそれが酸性食品で身体によくないなんていう話になってきました。

米については食べろ食べるな双方の立場での論争も激しく、極端な話で脅かすような議論が今も続いているようです。ついでに麦が良いとか悪いとかという話も出てきています。
牛乳も身体に良いから取り入れるという施策がずっと続いてきましたが、有害論というのもぼつぼつ出てきました。

食品添加物は戦後間もない頃の本当にむちゃくちゃなものを使っていた頃にはそれほど話題にもならなかったのが、規制も厳しく安全性も増してから危険視されるようになったようにも感じます。
そうかと思うと自然食品も実は危ないとか、自然食品をうたったものがまったく違うものであったりとか、大混乱の状況です。

栄養が行き渡りだんだんと肥満傾向が強くなるとダイエットブームが起こりました。カロリーをコントロールすると言う真っ当なものもありましたが、単品ダイエットといった胡散臭いものが本やテレビ番組の影響で大流行するというのはすでに1960年代から始まっているようです。

食と健康というのは明治大正の頃から延々とさまざまな説が発表されてきているようです。栄養学というものの発展ともかかわりますが、まともな栄養学だけでなくかなりおかしな栄養理論というものも頻発しています。
マクロビオティックというのも元々は日本起源だそうですが、アメリカのセレブに受けてから再輸入されてきています。
医食同源という言葉も実は日本で近年生まれたとか。中国でも伝統的にそういった考え方はあったそうですが、日中国交回復当時に中国ブームが起こりそのときに名づけたようです。

その後、健康食品、機能性食品、トクホなどこういったものは留まることを知らないようにはびこり続けています。アンチエイジングも最近の流行でさまざまな食品となって売られています。

アベノミクスの経済戦略で、健康食品の表示の新制度を作ると言う動きになっていますが、企業論理優先でやり放題のアメリカの状態を世界標準と言いながらそれに近づけるばかりでなく、「目指すのは世界最先端」だそうです。
「目指すのは世界で一番企業が活躍しやすい国の実現、それが安倍内閣の基本方針です」と首相は言ったそうです。読み返してみてエッと驚くような発言です。もはや道徳も企業倫理もなにもなく、儲かればよいの社会にしたいようです。

ここまで「身体によい食べ物」に振り回されるのは日本人だけではないかもしれませんが、その傾向はかなり強いように感じます。科学的な知識の裏づけは際限なく低下する一方で、健康志向ばかりは高くなるといういびつな国になってしまったということでしょう。