爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

エネルギー文明論「もしも石油が身近になかったら現代文明はどうなっていたか」

久し振りのエネルギー文明論登板です。しかし、それほど考えがまとまっているわけではなく、また具体的なデータもありません。

現代文明は石油をはじめとする化石燃料に依存しており、その供給量によって文明の命運も左右されるほどになっているとはこれまでも繰り返し強調してきていますが、ほとんどの人にはその切迫感はないようです。
今回はちょっと視点を変えて「もしも石油が無かったら」という状況を設定し想像力を働かせて見ましょうか。

燃える水があるということは古代から知られていたようで、燃える石とともに知識としては知られていましたが実用化という方向には行かなかったようです。単に燃やすだけであれば木材の方が扱いやすかったのでしょう。ただし、アスファルトだけは利用されていたようですが、それは燃料としてではなく粘着質の材料としてだったようです。

その後、実際の歴史では薪炭として利用できる木材資源が枯渇しだして仕方なく石炭に移行し、そしてその直後に産業革命が起こる(必然的に?)ことにより科学技術の発展も起こることになり、さらに石油利用に伴い爆発的な文明発展につながりました。それがもし無かったらと考えることは、今後の「化石燃料枯渇時代」へ移行する世界のあり方を考えることに対して有効ではないかと思います。

人類が文明化する直前の世界は現在と比べてはるかに多くの森林が各地に存在していたようです。今では砂漠や草原となっているヨーロッパや中東、中国なども森林に覆われていたそうです。しかし、毎日食事をするのにも火気がなければならない人間の生活維持のため、(もちろん建築用材等にも使われましたが)どんどんと伐採されていき、森林は失われていきました。
草を食べるだけの草食動物やそれを食べる肉食動物は生きていくのにエネルギー源を必要とするわけではありませんが、人間は車に乗ったり電気器具を使う生活をしないとしても何らかのエネルギー源は必要としています。森林を使い果たしたヨーロッパでは人間の生存すら危うくなっていたのでしょう。

もしも石炭も石油も無かったら、おそらくその時点でヨーロッパの人類は絶滅に向かったのでしょうが、それでは話がすぐ終わってしまうので一応生存の可能性を考えて見ましょう。
薪炭のみで生活していくということは、毎年生育していく樹木の生産量以内でエネルギーを賄っていくということです。それはごく小さい量であるのでその地域に住める人間の数も限られたものになります。当時のヨーロッパでも大半の人間は余剰であったでしょう。
日本でも江戸時代には人里に近い山(いわゆる里山ですね)は薪や緑肥としてどんどん収奪されていき森林が後退していったようです。温帯の中ではもっとも植物生産性が高いと見られる日本でもそうなのですから、他の地域ははるかに少ない人間しか住めない状況だったでしょう。
食料の生産が上手く行かず、人口を維持できなければ他地域からの搬入(輸入もしくは略奪)がなければ餓死者が出るだけです。そのように人口調節がされてきましたが、さて薪でそのような人口調節に発展するでしょうか。食料のように直接の影響は見えにくいのでいよいよとなるまでは調節の働きは動かないように思います。そして無くなってしまえば一気に社会が崩壊するだけでしょう。

つまらない結論になってしまいました。もしも化石燃料が無かったら、世界は中世の終わりには滅亡していたでしょうということです。化石燃料のおかげで人類は延命し、華々しいカタストロフィーに向かうことになりました。それが何時になるかということだけが問題です。