爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「○×チェックでみるみるわかる 教養のある日本語 教養のない日本語」籾山洋介著

名古屋大学教授の著者ですが、専門は認知言語学ということですので、本書の内容は専門領域とはあまり関係が無いのかもしれません。
さまざまな言葉の使い方の例を挙げ、それが正しいかどうかを判定すると言う内容ですので、教養のあるなしというのもさほど出てきてはいないようです。

例題を取り上げても仕方が無いようにも思いますが、それにしても「教養のある日本語」というのは難しい話です。
この本に出てきた言葉を間違いなく使えれば教養があるとは言えそうですが、本書中にもあるように言葉の意味は移り変わっており現在では認められるようになっているとか、まだ認められないとか、そういった判断基準が必要になります。
明治時代の教養人の使った言葉というのは現在とはかなり違っていたでしょうし、明治時代の無教養人が使った言葉というのも違っているでしょう。
現代における教養の有無と使う言葉の関係というのも、考えてみれば相当微妙なものかもしれません。

言葉は移り変わるとばかりが言われ、教養ある日本語とはこのようなものだと例示する動きと言うものは日本ではほとんど見られません。これもあってもよいのに無い物なのかも知れません。
もちろん、国がそのようなことをやり出しても誰も認めようとはしないでしょうし、反発ばかりが強くでるでしょう。かといって個人の研究者がやるような程度のものでもないように思います。

「教養無い言葉」は次から次に出てくるのに、なぜ教養ある言葉が出ないのか。日本とはそういった国であり、日本人はその程度もものだと言うことでしょう。